THE NAMPA BOYS、ファースト・アルバム『froM』リリース
THE NAMPA BOYSが、疾走感に満ちたメジャー・デビュー・シングルで、ドラマ24『クローバー』オープニングテーマにもなった「プランジ」を含む全6曲を収録したファースト・アルバム『froM』リリース。「~から」を意味するfrom の「m」が大文字の理由は、「松本」「ミュージック」さらに、レコーディング中よくご飯を食べに行った中華料理店「麺飯坊」という店の頭文字とのこと。
【『froM』収録曲】
1. 到来
2011 年自主制作盤にも収録された今作の表題曲。荒々しいギターリフが引っ張る衝動たっぷりのロックンロール・ナンバーだ。「『かかってこいや!』みたいなニュアンスの曲ですね。もろに気負いが入ってる。“ プランジ” がメジャーとしての始まりだとするならば、こっちは金はなくてもやってやるぜっていう感じがあるかな。ギターの音も荒くして、かなり悪い感じを出しました。」
2. プランジ
疾走感に満ちたメジャーデビューシングル。入江悠監督の抜擢によってテレビ東京ドラマ24「クローバー」主題歌に決定、ドラマのために書き下ろされた一曲だ。突っ込んでいくようなメロディが青春を感じさせる。「この曲はドラマに書き下ろしたというのが何より大きいですね。とにかく疾走感を出したかったから、一つのリフのスカッとするようなロックになった。“ 今ここで、はじめるんだ” って気持ちは強いです。 」
3. 月照
激情の一曲。シンプルな8ビートのAメロからゆったりとしたBメロ、そして絶叫のサビと様々な展開を見せる。テクニカルな中間部も聴き所。「この曲はいろいろチャレンジしました。間奏を変拍子にしてみたり、ヒップホップに影響を受けてポエトリーリーディングっぽいことをしてみたり、今までやったことのないことをやったら意外としっくりきた。歌詞も政治とか社会に関して俺なりに思うことを書いてる。新しいアプローチの曲です」
4. 螺旋インセクト
攻撃的な2本のギターの絡み、うねるベースラインと、バンド・アンサンブルで魅せるタイプのナンバー。
曲の終わり方も潔い。「これはTHE NAMPA BYOS の中でも正統派な曲です。BPM も速いし、ポストロック的なところもあるし、ナンバーガールからの影響もデカい。歌詞の内容は、生活が続いていく、それでも俺は駆け抜けてやるという内容で。“ プランジ” はヒーローみたいな主人公の曲ですけど、あれ以外はどうしても冴えない人間が書いてる曲になるんですよね(笑)」
5. キャンバス
ミニアルバムの中では最もポップな肌触りの、キラキラとしたメロディを持つミドルチューン。それでも歌が“ 叫び” に変化していくのがTHE NAMPA BOYS らしさかも。「この曲は自分の中では可愛い子みたいな感じ。“ 君と僕” みたいな世界の曲です。ポップなものも好きだし、こういうのもできるんだっていう感じですね。あと、中間部はダブっぽくしようと思ったり、そういう試行錯誤もあります」
6. 待つ元
曲名は彼らの出身地、松本から。胸の内をこみ上げる感情を爆発させるような、思わず揺り動かされるようなエモーショナルな一曲。「ライヴでもいつも最後にやってるし、ミニアルバムのラストに置くのもこの曲以外考えられない。アンセムですね。俺的にはくるりの“ 東京” に匹敵する名曲だと思うし、上京して思ったことを書いたという、それと同じような視点の曲なんですよ。家族とか友達とか、みんなが待ってるところでまた会おうという。この曲はライフワークになるかもしれないですね。まだ“ 第一章” だと思ってます。
【THE NAMPA BOYS (ザ ナンパボーイズ)プロフィール】
Vo&Gt 小林聡里(1993年2月28日)、Ba 田中悠貴(1993月1月29日)、Gt澤柳昌孝(1993年1月1日)、Dr 後藤駿(1993年3月14日)の4ピースバンド、全員が長野県松本市出身、弱冠19歳。
2005年、中学1年の時に、小学3年の頃から兄の影響でNumber GirlなどのJ-Rockを聴きまくり、家にあったアコギを弾き倒していた小林と、「姉貴がベースを持っている」という理由だけで小林から半ば強引にバンドをやらされた田中を中心に結成。
学園祭でライヴ初披露する予定だったが、本番直前でドラムが来ず、苦肉の策でリズムマシンを使ったライヴをするという屈辱をいきなり味わう。
中学2年でおこづかいをやりくりしながら頻繁にライヴハウスで対バンするようになり、当時地元では、「洋楽ROCKをカバーする中学生バンド」として名を馳せていた。小林は、ライヴ映像などをニコ動などにも動画をアップし、そこで少し好評を受けたことで『やはり俺は並の漢とは違う』と、有頂天になる。
そして高校生となり、街角で10代限定の夏フェス、2008年「閃光ライオット」のポスターを見つけ、応募してみると、15歳最年少のファイナリストとして、本戦出場まで果たしてしまう。
それで『やはり俺は天才だ』とますます有頂天となった小林の横暴に耐えられなくなったメンバーが、バンド活動ボイコット。小林はフロントマンでありながらクビを告げられ、一度は別々で活動してみるもしっくり来ず、結局このメンバーが一番良いと再結成。
そこへレコード会社より育成契約の話が舞い込み、早速レコーディング、そして意気揚々と東京でのライヴを行おうとしたが、ドラムが『◆.#$○&’o&;=(‘&▼¥“/$』により急遽ライヴに来れず、人生2度目、屈辱のリズムマシン使用のライヴ(小林曰く「人生史上最悪のライヴ」)をまたしても経験。当然、契約の話は破談となり、メンバーも散り散りに・・・。
そして世の中を憂いて、クダを巻いてみるも虚しいばかり。
それでもバンド活動を諦めなかった小林と田中は、小林がヘルプで参加したバンドで出会った金髪ロン毛で「NAMPA BOYS」のNAも知らない澤柳と、それとは正反対に、「NAMPA BOYS」を地元で超有名先輩バンドとして畏怖していた真面目キャラの後藤を、またも半ば強引に引き入れ、現在のTHE NAMPA BOYSが誕生!
有頂天や裏切り、そして屈辱もここに至る為の軌跡である。
澤柳の家にドラムまで持ち込んで、毎日近所迷惑なセッションを繰り返し、絆を強くしたメンバーは、小林が東京の大学進学を期に2011年4月上京。
これまでも御世話になっていた新宿LOFTの樋口さん(ブッキングマネージャー)の紹介で、日本テレビ「音龍門」に出演、そして自主制作盤「到来」を制作。そのCDをたまたま聴く機会があったA-Sketchの社長が、THE NAMPA BOYSは、まだ若いということで「青田買い」する。そんな経緯できわめて異例、2社目の育成契約が結ばれた。
そんな折、テレビ東京 ドラマ24「クローバー」のテーマ曲の選考会議を行っていた入江悠監督が、数ある楽曲の中から、『こいつらが一番泥臭そう』と選んだのが「THE NAMPA BOYS」。そして急遽ドラマのオープニングテーマを歌うことに!
バンドの右肩上がりのレールを何度も踏み外し乗り越え、今も育成契約中のため、バイト片手に日々の活動を続けるハングリーな19歳の悪ガキ4人。
今回の件も、「俺達の才能をもってすれば当然のこと」と息巻いているが・・・。
思いがけず到来したチャンスをものにすべく猛然と突き進む!
{まあこれで売れるとは誰しも思ってないが。。。(笑)}