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インタビュー掲載中!名古屋、岐阜を中心に活動するインディー・バンドHALF SPORTS『MILD ELEVATION』

HALF SPORTS

デビューアルバムで、PUNK/HARDCORE、NEW WAVEからUS glo-fi~Chillwaveまで様々なシーンに新たなスタンダードを提示し、大きな反響を呼んだHALF SPORTS。その後も様々なシーンでライヴを行い、その独特の存在感とカラフルなサウンドで観客を魅了し続ける彼ら。そんな彼らの2ndアルバムが遂に登場。良質なメロディー、タイトなリズムはそのままに、ネオサイケ~early 90's Alternative も内包し、複雑に絡むギター。紅一点、Nutsの絶妙なコーラスワーク。浮遊感を効かせたトリップサウンド。新旧ロックをHALF SPORTSというフィルターを通し、独自に解釈~深化させた全6曲。時代(世代)を超え、全ロックファン/音楽ファンにアプローチできる名盤登場!

 

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■HALF SPORTS インタビュー

名古屋、岐阜を中心に活動するインディー・バンド、HALF SPORTS。NEW WAVE、ポスト・パンクを通過した00~10年代インディーを同時代的に体現しつつ、インディー・ロックのシーンだけでなく、パンク、パワーポップのシーンともクロスする面白い存在。2012年の1stに続くミニ・アルバムが前作と同じ、YOU GOT A RAIO!のYoungが主宰するDrillからリリースされた。ふわっとした浮遊感がありつつも芯のあるサウンドと、メロディーを大事にしている感じが心地よい。メンバーの中で唯一東京在住のドラム / ヴォーカル 金森に話を聞いた。


HALF SPORTS
インタビュー:吾郎メモ

──結成はいつごろなんですか?

「もともとは前身バンドがあって、それが2008年くらい。そのあとひとりメンバーが代わるんですけど、そのタイミングでHALF SPORTSに、っていうのが2010年。」

──ドラムが歌うっていうスタイルは最初から?

「前身バンドのときはTREEBERRYSのさかっきさんがドラムだったんですよ。あの人、地元が愛知なんで。で辞めるって事になって。ぼくはもう一個違うバンドでドラムを叩いてて。探すのめんどくさいし、じゃあ自分で叩いて歌おうかと。」

──じゃあ、最初はギター/ヴォーカルだった?

「いや、最初はベース/ヴォーカルだったんですよ。」

──HALF SPORTSになった時点でドラム・ヴォーカルになった?

「前身バンドの途中から、もうドラム・ヴォーカルに切り替わってましたね。」

──岐阜って、インディー・シーンみたいなのってあるんですか?

「僕が知らないだけかもしれないんですけど、ほとんどないというか、そういうバンドも少ないし、岐阜もバンドはいるんですけど、僕が地元にいる時は、どっちかというと、、、SAの流れでOi! の先輩たちと、Stab 4 ReasonっていうWrestling Crime Masterの人がやっているバンドの周りのハードコアの人たち、あとはロカビリーとかが強くて、そういう感じのバンドは地元に居るときはまるで知らなかったですね。」

──CD聴くと、いわゆるUSインディーな雰囲気があるんだけど、そういう感じのバンドはぜんぜんいなかった?

「うーん、当時はいなかったと思います。ぼくらが若いころでいうと、いわゆるメロコアというか、そういうバンドがよくいて、いわゆるSONIC YOUTHみたいなオルタナとか、あとギターポップみたいなのは、ちょっとイケてないんじゃないの?みたいな雰囲気が少しあったというか、なかなかそっちに手を出す人がいなかったんですよね。」

──そういう中で、同じような指向性を持った人が集まったわけじゃないですか?メンバーはどうやって集まったんですか?

「こういうバンドをやりたい!って集まったっていうより、元々の同級生や友達が集まったって感じです。 個人的には岐阜というよりは、近いのもあって、名古屋のRippleってバーとかによく行ってたんです。最初はわかりやすいパンクとかパワーポップを目指してやってたんですけど、周りにそういうバンドもいないし、やってもウケない、、、。名古屋ではそういう土壌が少なかったのかもしれません。」

「まあ、そういう中で、2000年くらいにガレージのリバイバルがあって、そのあとに来たポスト・パンク・リバイバルみたいな感じの、JOY DIVISIONを再評価するような流れがあって。地元だとZYMOTICSとかもいて。で、そういうリバイバルもあったんで、崩していこうというか。前から歌ものをやろうというのはあったんですけど、ちょっとそれを違う音でやってみようかな、と。そうこうしているうちに、ちょっとマッドチェスターな雰囲気もやってみたら面白いかな?とか意図的にやってみたりいろいろやってみてるというか。なので、どちらかというとUSインディーをあえて狙っているってこともなくて。その辺りですごい好きなのはSUPERCHUNK、PIXIESくらいですね。」

──じゃあ、活動は名古屋の方が多いという感じ?

「そうですね。名古屋が多いですね。細かいこと言うと、岐阜だけじゃなくて、愛知県のメンバーもいるので、活動の中心が名古屋っていうのもありますね。いちばん集まりやすいというか。」

──で、途中でかなもりくんだけ東京に出てきたじゃないですか。仕事の都合だとは思うけど。それで東京に来たことによって、活動の幅に変化が出たりしましたか?

「なんか、広がってるんだとは思うんですけど、あんまり自覚が無くて。名古屋でやることも多いし、まあ、拠点が2つあるみたいなことですかね。いい意味でも悪い意味でも、両方の雰囲気を見れるというか。東京を知れて良かったというよりは、名古屋と両方あるのがいいというか。」

──名古屋だとそれこそZYMOTICSがいたり、6EYESがいたりってことで盛り上げてきたけど、HALF SPORTSは世代的にはそれより少し下じゃないですか。で、名古屋で同世代みたいな感じのバンドでいっしょにやってきた、みたいなバンドはいたんですか?

「音楽性はぜんぜん違うんですけど、THE ACT WE ACTっていう、ちょっと変則ハードコアみたいなバンドがいたり、同世代に刺激的なバンドがいっぱいいて、とてもいい関係ですね。音でつながっているというよりは、元々友達って感じなんですが。」

──じゃあ、ジャンルで細分化されているんじゃなくて、グチャっとしたかんじ?

「まあ、地方都市ですからね。東京みたいに、一ジャンルでそんなにバンドも多くいないし。」

HALF SPORTS

──Young(YOU GOT A RADIO!)のレーベル、Drillから出すきっかけは?

「もともと知ってるっていうのもあって、“ちょっと来い”と言われて、“出そうと思うんだけど”って。」

──いまのところ、DrillってレーベルはHALF SPORTSの2枚しか出してないよね。その辺はどう?

「レーベルに色がなかったっていうのはほんとに良くて、好き勝手やろうというか。」

──1stが出たときに「2012年型のパワーポップ」ってキャッチ・コピーがついてたじゃない?

「それ、自分で言ったのか、あんまり覚えてないんですが(笑)判りやすいからいいかなーとか。」

──聴いた感じではやっぱりパワーポップっていうよりはインディー・ロックみたいなかんじがしたんで、その辺どうなのかなーって。

「単純にパワーポップっていうか、キーワードとしては歌ものをやろうというのがあったので、その中で出てきたというか、言いやすいなというか。」

──じゃあ、歌を中心に考えている?

「歌ありきで曲を作っているわけではないんですが、、、。まあ、インストでもいいじゃないか?みたいなアイデアもあったんですけど、バンドやってる人は各々の楽器の音に耳が行きやすいと思うんですけど、そうじゃない人にとっては歌があった方がいいのかなと思ったりして。手にとってもらいやすいのかなとかも思って。」

──前のCDは、ちょっとしたシューゲイザー感というか、浮遊感みたいなものがあったけど、それも歌と併せて意識した感じですか?

「1枚目のときはちょっと意識しました(笑)あと、海外、USインディー、CAPTURED TRACKSとかそういう流れも出てきたし、時代の流れというかそういうのをちょっと意識はしました。シューゲイザーは詳しいとかじゃなくて、ジザメリが好きとかその程度なんですけど。古臭くならなければいいかなぁ、と。」

──1stのCDを出してから変わったこととかありますか?

「うーん、、、。20代後半で、バンドやってたけど何も形になってなくて、多少焦りみたいなものがあったんだと思うんですよ。で、そういう変なストレスみたいなのは無くなったと思います。それが一番でかいですね。それで単純にいい曲作ろう、って思えるし。あとは、それまで単純に知名度がなかったから、CD出してライブに誘ってもらえるようになりましたね。そういう意味では活動しやすくなったというか。」

──CD出してから今のいわゆるインディ・バンドたちとの関係ができた?

「そのへんはあまり変わらないというか、、、。友達のライブに出るのが多いし、誘われれば出るし。そういう意味ではどこどこにいたいなぁとかいうのがあまりなくて、自分たちの事をどういう風に捉えられてもいいかな、と。」

──今回は6曲入りミニアルバムじゃないですか?ミニアルバムにしようと思った理由は?

「曲が溜まってきて、“録音したいよね”みたいなところから始まって、自分たちでどうにかするか、みたいなアイデアもあったんですけど、ノウハウがなくて。で、考えたときにノウハウを学んで出すというよりも、早く出したいっていうのもあって。で、2枚目はこっちから、Youngに“2枚目もいいですか?”って感じです。そのときに形はどんな形でもいいって言ったんです。EPで7インチでもいいし。それで相談の結果CDで行こう、ってことになりまして。聴きやすいサイズ感だと思います。」

タグ : J-インディーズ

掲載: 2014年09月16日 20:24