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上々颱風のヴォーカリスト白崎映美による<とうほぐまづりオールスターズ>。その想いにを明らかにするインタビュー掲載中

とうほぐまづりオールスターズ

<悔しい>インタビュー中、白崎映美は何度もそう口にした。

 上々颱風が2013年1月に活動休止した後、白崎映美が新たに結成したグループが<白崎映美&とうほぐまづりオールスターズ>。『まづろわぬ民』は彼らのファースト・アルバムだ。“まづろわぬ”とは、支配されない、迎合しないという意味の言葉だという。その東北人の姿勢は、朝廷に屈しなかった蝦夷(えみし)の時代にまでさかのぼる。

 東日本大震災後、震災や原発事故の記憶が薄れていく状況に“悔しい”と感じていた、山形県酒田市出身の白崎映美。彼女は『すばる』2011年12月号に掲載された木村友祐の小説『イサの氾濫』と出会う。そこに描かれた東北人の姿に激しく共鳴した白崎映美は、上々颱風の活動休止後、一気に白崎映美&とうほぐまづりオールスターズの結成へと邁進していくことになった。

 多数の管楽器も配し、祭囃子も鳴らす白崎映美&とうほぐまづりオールスターズは、アルバムにクレジットされているミュージシャンだけで14人。そのサウンドは、まるで東北に土着化したビッグバンドのようだ。ポイントは“東北に土着化した”という部分で、そのサウンドは東北という土地から生まれた音楽を吸収して、ナチュラルに反映させている。これほど東北という地に根付いたバンドサウンドを筆者は聴いたことがない。その一方で、サウンドはジャズ、アフリカなどの雑食性も見せている。

 『まづろわぬ民』は、白崎映美が<悔しい>と嘆く状況から生まれた、まさに反骨と抵抗の音楽だ。それと同時に、老若男女を問わずに人々を楽しませる音楽でもある。この豊穣にして複雑な音楽はどのような経緯から生まれたものなのだろうか。白崎映美に話を聞いた。

インタビュアー:宗像明将
写真:添田康平 

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とうほぐまづりオールスターズ

――6曲目の「MC」で、白崎さんご自身の言葉で震災や原発事故に言及しています。震災から3年経っても変わらない東北への想いはどんなところから生まれたのでしょうか。

「私は東北人でコンプレックスがあったんですよ。私だけじゃなく、東北人はみんな言葉でもコンプレックスがある。私はたまたま上々颱風に入って、紅龍が<映美ちゃんの言葉には文化があるね、いいね>ってほめてくれたんですよ。しかも、上々颱風っていう<日本人ってなぁに?>って考え続けざるをえないバンドに入っちゃったから、<「かっこいい」ってなんだ、「かっこいいと思わせられているもの」ってなんだ>と考え続けた。紅龍が上々颱風を作ったのは、在日朝鮮人の人や沖縄から働きに来ている人たちが自分たちの文化にすごく誇りを持っているのを見て、<自分たちは持ってるものがないな、でも日本人はいろんなものをミックスするのはうまい、だからそういう音楽で若者でもお年寄りでも楽しめるバンドをやりたい>って考えたことがきっかけだそうなんです。じゃあ<私にとっての東北って何だろう>って考えたとき、<あー、おらの田舎がいいな>って。」

「さらに私は、中学3年生のときに酒田大火(1976年10月29日に酒田市中心部で発生した大火)で私の家も燃えて、仮設住宅に住んで、救援物資をもらって、ものすごく悔しかったんですよ。世の中に忘れられることが悔しかったんです。それで震災のときに衝動のように<何かしなくちゃ>と思ったちゃったんですよ。被災地で歌ったりしたんですが、そうすると今度は<歌ってなんなんだ、それより瓦礫の処理でもしたほうがいいんじゃないか>って、ずっとモヤモヤしちゃって。そういうときに木村さんの小説に出会って。『イサの氾濫』には、東北人は蝦夷と呼ばれて攻められて“まづろわぬ民、従順でない民”と呼ばれて、戊辰戦争でも負け続けてきた歴史が描かれていて、東北人のコンプレックスには理由があったんだなってわかって。でも私は<もうちょっと叫んでいいんじゃないのか>って思うんです。テレビの取材に、被災地のおじいさんが大丈夫じゃないはずなのに泣きながら<大丈夫です>と言っちゃうのが東北人なんですよ。それを見ていて<悔しいな、歌いたいな>って強く思ったんです。そこから曲をガーッと作ったんです」

――『まづろわぬ民』というアルバムを聴いたときに、強い怒りを感じたんです。タイトル曲『まづろわぬ民』も、東北人の生き方を描くと同時に、怒りと悲しみが込められていると感じました。

「あんな風になっても我慢し続ける東北人が自分でも悔しかったし、私は上々颱風や『イサの氾濫』に出会って<これは悔しい、黙ってる場合じゃないんではないか、そうしないとじっちゃんばっちゃんがひとりで泣いて黙ってるんじゃないか>って思って。みんなが立ちあがって行動してデモもあったけど、しばらく経ったら世の中またなかったことみたいになってる。でも私の中では震災がなかったことにはできないし、自分の中での衝動は消えないことになったんだな、って思います」

――白崎さんは“白崎映美&白ばらキャバレーボーイズ”でも活動されていますが、違いはどこでしょう。

「酒田市にグランドキャバレー“白ばら”っていうのがあって、何年か前に連れて行ってもらったら<こんな文化遺産的なものがあったのか>とビックリしてしまって。昔はホステス100人だったのが、今は5人。お客さんも5人。いつ潰れてしまうかわかんないわけ。でもこれはなんとしても残したいから、“白ばら”にスポットを当てるために、“白ばら”でライヴをするために作ったバンドなんです」

――そうすると、とうほぐまづりオールスターズも白ばらキャバレーボーイズも、故郷への想いという点では変わらないんですね。特にとうほぐまづりオールスターズは、シリアスに状況と向き合っていますね。

「自分の内面的にはそうなんですけど<主義主張を声高に言っても世の中に引かれるんだな、みんなが正しいことをいくら言っても消えてしまうんだな>って感じて。だったら私は、じっちゃんもばっちゃんも楽しめることができたらいいな、って。音楽って、テレビみたいなメディアができる前からずっとあるわけで、何か力を持ってると思うんです。祭りっていうのは神様と一緒のもので、東北には昔から神様がたくさんいるんだから、あんなふうになった東北をそのままにするわけがない、神様も妖怪もみんなで<東北さいい事いっぺ来い来い来い!>ってできたらなと、そういう気持ちが渦巻いて形になったんです」

――とうほぐまづりオールスターズが、この大編成や独特の衣装になったのはどういう経緯だったんですか。

「こういう形でやりたいと考えたときに、衝動的にメンバーを誘ったので、自分でも完成図がわからずにこんな人数になってしまいました(笑)。『イサの氾濫』の描写にゾクゾクしたので、蝦夷の格好を想像して<毛皮のやつもいるかもしれない、ビニールシートみたいなのかぶってるやつもいるかもしれない、そういう格好で東北弁で叫ぶのだ!>というイメージで作ってもらって」

――音楽面について、プロデューサーの向島ゆり子さんと話し合った部分はありますか。

「ゆり子さんとは、たまたま一緒に被災地のあちこちに行って歌ってきたんです。ヴァイオリンと歌で。一緒にああいうところで歌ったのは大きかったんですよね。『イサの氾濫』を読んで音楽が浮かんだときに、私は譜面が書けないから、ゆり子さんに電話して歌ったりしたんですよね。それで“まづろわぬ民”や“とうほぐまづりのテーマ”を譜面にしてくれたんです」

――衣装を着ての“まづり的一発録りレコーディング”で録音したそうですが、そういう形で録音したのはなぜでしょうか。

「ゆり子さんが<映美ちゃんをちっちゃなブースでなんか歌わせたくない>って言ってくれて、<でっかいところで東北に届くように歌って>って、レコーディングの方法を考えてくれたんです」

――<とうほぐまづりオールスターズってどういう音楽をしてるの?>って聞かれたときになんて答えてるのでしょうか。

「<東北さいい事いっぺ来い来い来い!>と念を込めた音楽だと答えてるんですよ、全然わかんないですよね(笑)」

――でも、そういう念は非常にこもっていると思います。

「嬉しい。今でも福島でおばあさんはひとりで泣いてるだろう、私は行くこともできないけれど、でもその想像はし続けないと<みんなちょっと冷たいんじゃないかな>って思うんです。私も酒田大火で家が焼けて、周囲のみんなが日常に戻ってるのに、私は被災した状況から逃げられなかった、それが悔しかった。それが何十年経っても記憶に残ってるんですよ」

――何度も<悔しい>とおっしゃっていて、東北で生きる中での悔しさという面がアルバムに通底しているのかと思います。“楽しい”でも“悲しい”でも割り切れない感情が。

「それを経験してなかったら、やってなかったかもしれませんしね」

とうほぐまづりオールスターズ

 

――アルバムの1曲目が“タマシズメタマオコシ”。この曲名はどういう意味なのでしょうか。

「これは亡くなった人たちに<静かにお眠りください、しかしこれから日本人がどうしていくのか見続けてください>という気持ちを込めました。魂を鎮める、魂を起こす」

――1曲目から黄泉の世界につながっていますね。楽しげな祭囃子が始まったかと思ったら、震災で亡くなった人たちに捧げた曲で驚きました。

「みんなを呼んで来てもらおうと思って。数年前に田舎に戻ったら、地元のおばあちゃん達が念仏講で長い数珠をまわしてて。また聞いてみたいな、って録音したりしたんですよ。それがすごく良くてね、私の中に残っていたのはあります。お盆とかお彼岸に、みんなで魂を鎮めにいくんです。東北のおばあちゃんが黒っぽい服装で複数で来ると恐いんですよ、でもあの「暗い力」に憧れるんです。今は世界が明るい方に向かって、のっぺりしててつまんないな、って思って。東北で育って冬に吹雪の中で学校行ったこととかも、私の中に残っていたと思います」

――“とうほぐまづりのテーマ”は、「いづまで生ぎっがわがんねぞ / 明日ポックリいぐがもわがんねぞ」という歌詞が強烈ですね。しかも白崎さんのラップが阿呆陀羅経みたいになっています。

「毎日毎日悔しいから、勝手に歌詞もメロディーも湧き出てきた感じがあるんです」

――アレンジはメンバーに細かく指示されたんですか。

「もう演奏も出たとこ勝負で(笑)。“とうほぐまづりのテーマ”も“まづろわぬ民”もイントロからイメージが浮かんできちゃって、みんなに歌って聞かせて、バーンと演奏してもらって。自分で積極的に歌を作ろう、って初めて強烈に思ったかもしれないです。“月夜のらくだは泣いてるだろか”も、湾岸戦争でイラクのスカッドミサイルの映像を見ながら作った曲なんですけど」

――“月夜のらくだは泣いてるだろか”は上々颱風の『Shang Shang A Go Go!』(2005年)に収録されていた曲ですが、今回再録したのはなぜでしょうか。

「こういう状況で今歌いたくなったんです。<悲しい出来事ってみんな人間が作ってるじゃん>って。自然災害は仕方がないところがあるけど、世の中から忘れ去られることではないと今回強く思ってしまって」

――新しい“月夜のらくだは泣いてるだろか”のサウンドにはアイルランドのトラッドを連想しました。意識された面はありますか。

「<何々風に作ろう>って考えたところはないですね。でも“とうほぐまづりのテーマ”“まづろわぬ民”は新しい民謡になればいいな、って思いました。じっちゃんもばっちゃんも楽しめるような。進行形で新しい民謡が作られてるのは沖縄と河内音頭だけ、っていうのが頭にあって、だから今回は新しい東北の民謡になればいいなと思いましたね」

――“皆様の人生にファンファーレを”は一転してジャズっぽいですよね。

「これはソロでもやっていた曲で。人ってなかなかファンファーレを贈られることないな、地味にコツコツ生きてる人たちにファンファーレが届けばいいなと思って作った曲なんです」

――地味にコツコツ生きてる人たち。それは震災後にシンクロした部分なんでしょうか。

「東北人に限らず、声の小さい人は忘れられる。人間ってすぐ忘れますよね。でも何もできない。私の場合は酒田大火の経験があってこうなってますけどね」

――“ままふぇ”はアフリカっぽいですよね。意味のある歌詞が乗ってることすら、歌詞を見るまでは気づきませんでした。

「東北って“ん”から始まる言葉があって、<これってアフリカと東北ぐらいじゃないかな>って言葉遊びをしてみたんです。“ままふぇ”って言葉も<アフリカっぽいな、踊れるやつがいいな>って思ったので<ご飯を食べてみんなで元気にいこう>みたいな歌詞にしたんです」

――今回の“とうほぐまづりオールスターズ”“まづろわぬ民”も、これだけなまっていると音として新鮮ですよね。

「んだ。私も東京で酒田弁だけで生きていこうと心に決めたことが3回あるんですよ、3回とも挫折したんですけど(笑)。<えっ?>とか聞かれて日常会話にならないんですよ。面倒くさいことから説明しないといけないんで、バイリンガルでいこうと(笑)」

――“MC”は、歌にしてもいい震災や原発事故についてのメッセージを語りのまま収録されている点に、相当強い意志があったのだろうなと感じました

「これはライヴのMCでいつも話してることなんです。ゆり子さんが<いつも話してることをレコーディングしよ>と言ってくれたんですよ。

――そこから続くのが“まづろわぬ民”。これはまさに新しい民謡になっていると感じました。

「東北の神様も妖怪もみんな一緒になって、東京でお祭りみたいなライヴがしたい、って私はひとりで妄想してたんですけど、風煉ダンス(白崎映美とともに演劇『まつろわぬ民』を上演した劇団)が実現してくれた。<妄想が実現するなら、もっともっと妄想しよう、そうしたら世界中から東北にお客さんが来て、東北人が自分たちの文化に誇りが持てる>と思いました。東北にまだまだ残ってる小さなお祭りと、とうほぐまづりオールスターズが一緒にできたらいいな、って思いますね。そしたら地元の人もじっちゃんばっちゃんも大喜び、世界の人も<ワオ!>っ、て」

――“クールジャパン”は東北だぞ、寒いし、みたいな。

「寒いし、ダブルクールだぞ(笑)。18歳で東京出てきたとき、冬に晴れてるから<ずるい!>って驚きましたもん。東北の日本海側の冬は、曇ってるか雪降ってるか吹雪か。白か灰色しかない。

――“第一東北応援歌”からの流れも変わっているなと思いました。このアルバムから“MC”を抜いたり、最後の“朗読『イサの氾濫』より(木村友祐)”を抜いたりしたら、いかにも評論家受けしそうなものができるじゃないですか。それを意図的に避けているんだな、って。

「変なアルバム、って自分でも思うもん(笑)」

――“第一東北応援歌”ではなぜ応援団をやってるんですか。

「応援団ってすごい人たちだと思うんですよ。人を応援するために存在する人たちで、応援するためにあんな過酷なことをする人たちに私もなりたい、って。これもゆり子さんが<入れようよ>って言ってくれたんじゃないかな」

――藤山一郎の“丘を越えて”のカヴァーが収録されていますが、被災地でいろんな曲を歌われた中でこの曲を選ばれたのはなぜでしょうか。

「これは明るいしね、希望の丘を越えて行こうね、って歌詞だし。岩手県大槌町の保育園で歌ったときに3歳くらいの子供にマイクを向けたら、全部歌ってくれたの。聞いたら、その保育園には町のおじいさんおぼあちゃんが歌を教えに来てくれたんだって。それが私は忘れられなくて。そこで一緒に聴いてくれたおばあちゃんに<ありがとうございました、震災後に初めて笑いました>って言われたんですけど、<じゃあそれまで一度も笑わなかったのかな、どうやって生活してたのかな>って思って。こういう話もライヴでは話しながら歌うんです。東北に行った身の者として、ライヴで楽しみながら想像力もちょっと働かせてくれたらな、って」

――そういう想いは伝わってると思いますか。

「どうなんでしょうね。でも24時間テレビのイベントで福島の郡山へ行ったとき、<福島には応援してくれる人はいっぱい来る、でもみんな後ろから押されてる感じで「がんばってますから!」って気持ちになる>って言われたんです。でも私たちのバンドを聴いたら<前から腕を広げて「大丈夫」って言ってくれた気持ちになった>と言ってくれて。私も自分の家が焼けたときに、施しを受けて暮らしていくのは嫌だったのよ。ありがたいんですけどね。そういう経験をしたことも関係あるのかな」

とうほぐまづりオールスターズ

 

――このアルバムは“朗読『イサの氾濫』より(木村友祐)”で終わります。誰の朗読かと最初思ったんですが、『イサの氾濫』の作者さんなんですね。なまっていますけど、東北の方なんですか。

「んだんだ、八戸。小説もなまってるのが私にはグッときてしまってよぉ。それも<ライヴでぜひともやっとほしい>ってお願いしたら、素晴らしかったんですよ、青森人の訥々とした感じが。お客さんも泣いてたんですよ。本人の言葉でやると何かが伝わるんですよ」

――最後がこれほど長い朗読で終わるCDというのは初めて聴きました。しかも最後の<重い口を開いでもいいんでねえが。さがんでもいいんでねえが>までけっこう長い。

「私は『イサの氾濫』から始まってるようなものだから、ぜひともお願いしたかったんですね。私は歌、木村さんは小説で、やってる表現は違うけど、同じことを考えてる。だから一緒に力を合わせてやりたかった。<東北6県ろーる!ショー!!>と言ってるんですけど、こうなった以上、東北6県で盛りあがっていこうと思ってるから、東北みんなでやりたいんです。東北は昔から暗くて貧乏でコンプレックスがあったけど、力があるやつは力を出して、金があるやつは金を出して、知恵のあるやつは知恵を出して、跳ね返したいんです」

――『まづろわぬ民』というアルバムで終わりじゃなくて、ここからが始まりなんですね。今後どういう活動をしていきたいでしょうか。

「東北のいろんな地方、世界のいろんな地方に私たちが出かけて行って、いろんなとこで地元の人たちと交わって、<おらたちの祭りも面白いな>と思ってくればいいし、いろんな人たちと盛りあがっていきたいですね」

――白崎さんお話を聞いていると、長くやりたいという意志も感じます。震災を忘れさせないためのバンドですから。

「“世界の東北6県”になるまで!まだ東北を回りきれてないんです、新人バンドだから(笑)。いろんなつながりを持っていきたいな。復興の連帯のために私たちを活用してほしいと思いますし。東北のためにもドカンと有名になりたいもんだなと思います。私たちの人気が出たら<東北のばっちゃんが喜ぶだろうな>とか<皆が東北のことを考えるようになるだろう>と思うんです。だから<とうほぐまづりオールスターズがおらの町に来たよ!>って東北を発信したいくためにも、私たちは有名になりたいですね」

タグ : J-インディーズ

掲載: 2014年11月20日 19:31