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北村早樹子、ベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』発売記念インタビュー

北村早樹子


大阪出身のシンガー・ソング・ライター北村早樹子、ピアノの弾き語りを中心に、繊細かつ毒気のある歌でじわじわと人気を集めてきた。
タワーレコードでは新宿店ニューエイジ・コーナーで早くからプッシュしていたが、白石晃士監督「殺人ワークショップ」の主題歌「卵のエチュード」で、その存在が広く知られることに。イラストレーター、本秀康氏のレーベルから同時に発売された7インチも即完売になるなど、一躍注目を集める存在となった。
新人のようなフレッシュさはあるが、実は10年のキャリアがあり、手に入れにくい盤もあるということで、ベスト盤がリリースされることになった。

インタビュー、写真:吾郎メモ

 

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──北村さんの作品は、タワー新宿ではかなり前からプッシュされていたんですが、どういう感じだったんでしょう?J-POPではなくて、NEW AGEのコーナーでというのも含めて。

北村「池田さんというニューエイジのバイヤーさんが、たまたま、私の音楽を好いてくださったというか、池田さんのみの尽力で展開してくださったというか、味方が全国で池田さんしかいないという状況でファーストのスタートだったんで、売り上げのほとんどが、95%くらいがタワー新宿での売り上げだったんです。当時私、大阪に住んでいたんですけど、大阪のお店でも1枚、2枚くらいしか売れてない次元で、ほんとうにタワー新宿さまさま、ニューエイジさまさまという感じです」

──ご自分では、なんで(タワー新宿に)注目されたんだと思います?

北村「タワー新宿の池田さんが、早川義夫さんのファンでいらっしゃって、たまたま私が前座で出させてもらったときに観に来てらしたんです。まだファースト出す前だったんですけど。それでずっと気にしていただいていたみたいで、それでその後、新譜が出ますよ、みたいな案内を見たときに、あっ、この子、って思ったみたいで、それで展開していただいたというか。たまたまお口に合ったというか、お耳に合ったんだろうな、と」

──今も名前が出たんですけど、歌うきっかけとして、早川義夫さんのソロがあったということですが、ピアノの弾き語りという演奏スタイルに関しても影響を受けたりしたのでしょうか?

北村「ピアノで歌うということになったのは、早川さんというよりも、小っちゃいときにやっていたというのもあって、もともとちょっとは知識があったというか、でも「エリーゼのために」も弾けないような腕しかないんですけど、それでもギターとかよりはやりやすかったので選んだというか。お母さんの嫁入り道具のアップライト・ピアノが家にあったというのが大きくて、それでやってみたという感じです」

──『卵のエチュード』以降状況が変わったと思うんですけど、それ以前と以後で自分として変わったと感じたことはありますか?

北村「こういう風に取材というようなものをさせてもらえるようになったというか。この方(レーベル主H氏)のおかげというか。いままでわらびすこ舎とか言ってふざけたような名前付けて、自分で自主制作のレーベルやってますみたいなのやってたけど、そんなのどこのひとでもふーん、ってすぐに忘れ去られる感じだったんですよね。やっぱり。私が営業能力皆無だったというのもあるんですけど、そういう感じだったのが、助けていただいて(『卵のエチュード』を出したことにより、いろんな人の目について、興味持ってもらえたりして、ちょびっと、、、ちょびっと、、、上向けるのかな、という感じにこの半年くらいでなった気がしています」

──映画音楽(映画「殺人ワークショップの主題歌」)として“卵のエチュード”をやることになったのはどういう経緯なんでしょうか?

北村「白石晃士監督は、私の“だ・い・す・き”という曲のPVを撮ってくださっている方で、よくライブにも来てくださったりしてるんですけど、それで今回こういう映画を撮るという話を聞いて。それで最初は、いままでの旧作の中から、この曲を使わせて欲しいみたいに言ってはったんですけど、私が「それだったら、もっとピッタリのを書き下ろしますから!」って言って「あー、そう?じゃお願いする」みたいな感じになって、それで作ったんですけど」

──このベストと、過去の作品も聴いてみると、北村さんの曲って、すごい映画的な感じがするんですよね。映像を想起させるというか。映画に使いたくなるような雰囲気がして。音楽的に聴けたというか。で、次の質問につなげたいんですが、ご本人の中で歌詞ってどのくらいのウェイトがあるんでしょうか?

北村「歌詞ですか?」

──まず、歌いたい事柄があって曲ができるのか、それとも曲がまず出来て、歌詞を作っていくのか、というような。

北村「完全に歌いたい事柄がまずあって、それありきで曲になりますね。“卵のエチュード”は映画に合わせて書いたので、少し違うかもしれませんけど」

──ベストにも入っているけど、9分くらいの曲もあるじゃないですか。

北村「“貝のみた夢”かな」

──そういう曲も歌いたいことがあって、そういう長い曲になってしまったということですか?

北村「なってしまったんですよ、、、たぶん、はい。でもあれは歌詞の内容がめっちゃあるわけでもないんですけど、なんでか」

──あまり歌詞の意味というのがグサッと刺さる感じでなく、音楽として聴いてしまったんですよね。そういう意味も含めて映像を想起させるというか。

北村「たしかに。最近は割と生々しい、露骨な言葉を使うようになってきたんですけど、初期は、ほんとうに、わざとというか、訳わからん位にこねくり回してオブラートに包み、セロファンやら袋やらいろいろ包んでわからんように書くようなことをしていたので、一聴しても、えーっ!みたいなことが出て来ないような感じで、意味わかんないくらいの日本語が流れていく感じになっているのはそういうことだと思います」

北村早樹子

──『ガール・ウォーズ』(2013)以降では色んな楽器のアレンジが加わるようになったじゃないですか。この辺はどういう心境の変化だったんですか?

北村「その頃、変な病気になって。今は薬が効いているからピアノも弾けるんですけど、2年くらい前なんですけど、突然、全身がイタイイタイイタイイタイってなって、手とか洗うときも水の水圧でイタイイタイイタイってなるから、もうピアノなんか弾けないんだろうと思って、やべぇ!ってなって」

──神経が過敏になる病気ですかね?

北村「そうなんですよ、なんか難病の一種で、整形外科をたらい回しにされて、、、なんか神経と関節の回路がおかしくなって。それで、ピアノ弾けなくなるからどうしようかなってなって。でも、そんなにピアノに執着があるわけではなくて、歌えればいいんやろうなと自分で思って、カラオケ流して歌えるような曲を作ったどうかなー、ってなってできたやつなんですよね」

──そうなんですね。突然変わったような印象があったから。

北村「それはそういういきさつがあってそうなったんですけど、でも一回やってみて自分の中でも整理がついたのもあるし、なんか薬が効いたらピアノも弾けるというのがわかったので、段々もとに戻って行っているんですけど、今は。だから、わざと「新しいことやってやるぜ!」ということでやったわけではなくて、、、。基本ピアノと歌だけのいちばんシンプルな形が、自分に合った芸風というか、なんというか、やり方だなぁ、とは思っているので」

──文章も書かれているじゃないですか、TRASH UP!とかで。これはどういう経緯で?

北村「もともと私、文章書くのが好きで、たぶん、いままでの人生で費やしたお金って音楽よりも本の方が全然多いんですよ。タワーレコードさんに言うようなことじゃないんですけど(笑)音楽は、限られた音楽を何度も何度も聴いてて、たくさんのCDをわーっと買って研究してとかいう人間ではなくて、本読むほうがずっと好きで、文章の方がたぶん、影響受けて、摂取していて、で、文章読んだり書いたりするのがずっと好きで、それでTRASH UP!さんに関しては、あの、コラム連載始める前にインタビュー取材してもらって記事になって、それで後で会ったときに「コラム書いてくれませんか?」って言われて、そっから始まった感じなんですけど。そうなんです。文章書くのが好きなんで、言われたときに「あー!書きますぅ!」ってすぐ飛びついちゃうんで」

──いま、CDとかあんまり買わないっていう話だったんですけど、洋楽とかもあまり聴かないかんじですか?

北村「そうなんですよー、洋楽はなんか、ちょっとだけ聴いたかなぁー」

──ジュリー・ティペッツって知ってますか?その人が旦那のピアニスト、キース・ティペッツとやっているのにちょっと近いかなぁ、なんて思ったんですよね。

北村「へー」

──ベスト盤の話題に行きたいんですけど、けっこう幅広くというか各時代からまんべんなく選曲されているかんじがしたんですけど、これは自分でやった感じなんですか?

北村「そうですね、レーベルからは、映画などに使われたのは全部いれて欲しいというのと、あと年代順に並べたいみたいなのは聞いてて、あとは何の曲をを選ぶかは好きにやっていいよ、と言われたので。自分の気に入ったやつを入れていったんですけど」

──年代順なんだろうなー、とは思いましたけど。

北村「最初の方は声がめっちゃ若くて、だんだん歳くってきたというかそんなかんじですよね。作風もじわじわ変わってきてますけど」

──イラストは本さんですよね。7インチ『マイ・ハッピーお葬式』のジャケも本さんですよね。その辺の経緯も教えてもらえますか?

北村「7インチは、本さんのレーベルで出してもらったというのもあって、必然的にそういうかんじになって、で、このベスト盤を作るって決まった瞬間から、レーベルの人が「ジャケットは本さんで!」って、もう決定事項としてあって。で、私も本さんの絵が好きだったので、本さんがお厭じゃなければ、それに越したことはないと思っていて、それで、私、前からかわいい絵本のような感じにしたかったので、ピッタリの感じが来たので、かわいくてお気に入りなんですけど」

タグ : J-インディーズ

掲載: 2015年01月30日 14:50