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オイストラフ初訪米時のリサイタル盤世界初CD化記念!1953~55年の西側録音ご紹介

世界初CD化! オイストラフの初訪米時リサイタル盤

「彼がもしいまここに現れたら、すべてのヴァイオリニストは太陽の前の星の如く光を失うだろう」
これはオイストラフのレコードを聴いた指揮者のトスカニーニが発した言葉としてあまりにも有名です。
ロシアの大ヴァイオリニスト、オイストラフは1937年の第1回イザイ国際コンクール(現エリザベート王妃国際音楽コンクール)で優勝し、その名を世界に轟かせましたがましたが、第2次世界大戦のため戦時中は旧ソ連国内での慰問演奏が中心で、戦後はいわゆる「鉄のカーテン」のため西側での演奏活動がなかなか開始できませんでした。世界の愛好家は、当時開発されたばかりのLPレコードを通じて、彼の偉大な芸術を享受していた訳です。
1953年3月5日に独裁者のスターリンが亡くなると、ようやく西欧での演奏活動が本格化します。そして、旧ソ連の積極的な文化政策の下、世界各地で演奏会のライヴ録音や、LPレコード用のセッション録音が行われ、それらの大部分を現在CDで聴くことができます。
ここでは現在発売されている(または発売予定の)CDにより、オイストラフの西側での1953年から1955年の軌跡を追いました
(タワーレコード)

1953年6月、パリ
オイストラフはフランスのパリでコンサートを開催します。アメリカ・ヴァンガード社はパリへ出張録音を行い、3枚のLPレコードを発売しました。1993年にCD化され、現在も廉価価格で入手可能です。

1954年2月、ベルリン
オイストラフはベルリンのイエス・キリスト教会でDGのためにブラームスとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をセッション録音します。バックはフランツ・コンヴィチュニー指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団でした。これらのLPはDG初期のベストセラーとなります。1996年にオリジナルス・シリーズでCD化され現役盤です。

1954年6月、ストックホルム
オイストラフはスウェーデンのストックホルム音楽祭に招かれました。英コロムビア(現ワーナー)はエールリンク指揮でベートーヴェンとシベリウスのヴァイオリン協奏曲をセッション録音します。これもモノラルLP時代、決定的な名演奏として知られました。

1954年11月、ロンドン
作曲家のハチャトゥリアンとともに初めてイギリスを訪問。作曲者の指揮でヴァイオリン協奏曲をセッション録音します。

また、マタチッチ指揮ロンドン交響楽団とプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番をセッション録音しました。

1955年2月、東京
日ソ国交回復前にオイストラフが初来日し、音楽界のみならず社会的にも大きな注目を集めました。2月23日、コンサート・ツアーの初日を飾った、東京・日比谷公会堂での録音テープが、2014年にニッポン放送の倉庫で発見され、オクタヴィア・レコードがSACD化し話題となりました。

1955年5月、ブリュッセル
エリザベート王妃国際コンクールの審査員としてベルギー・ブリュッセルを訪問。フランス・コロムビア(現ワーナー)はプロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第2番とカレン・ハチャトゥリアン(有名なアラムとは別人)のヴァイオリン・ソナタをセッション録音しました。

1955年12月、ボストン
オイストラフは初めてアメリカを訪問します。演奏会の大成功を受けて、ボストン・シンフォニー・ホールで急遽設けられた録音セッションを収録。これが米RCA(現ソニー・クラシカル)に残した唯一のソロ・アルバムとなりました。"ソニー・クラシカル名盤コレクション1000"シリーズで今回世界初CD化されます。

また、同時にミュンシュ指揮ボストン交響楽団とショーソンの《詩曲》とサン=サーンスの《序奏とロンド・カプリチオーソ》も録音。こちらは、同じ旧ソ連出身のコーガンの訪米時の録音とカップリングされ、"ソニー・クラシカル名盤コレクション1000"シリーズで再発売されます。

1955年12月、フィラデルフィア
12月24日には、フィラデルフィアで米CBS(現ソニー・クラシカル)へバッハ、モーツァルト、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を録音します。バックはオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団。とくにメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、日本独自で10インチLPの廉価盤で発売され、モノラル時代の大ベストセラー盤となりました

掲載: 2015年04月13日 18:00