Monday満ちる&秋吉敏子、親子初共演アルバム
クラブ・ジャズの黎明期からワールド・ワイドに活躍する個性派シンガーソングライター、Monday満ちる。その母親でありジャズ・ピアニスト、アレンジャー、ビッグ・バンドリーダーとして世界的にも評価が高い秋吉敏子。二人の初共演アルバム『ジャズ・カンヴァセイションズ』。
ジャズ界では最も権威のあるジャズ・マスターズ賞(アメリカ国立芸術基金)を2006年に日本人として初めて獲得した秋吉敏子。その偉大な母親の影響で幼少の頃から音楽に興味を持ち、ジャズをベースにした革新的でスタイリッシュな音楽によって人気のMonday満ちる。
「ジャズはママの言語、私はジャズ・シンガーでは無い」と語るMondayだが、そのママの言語(ジャズ)を子供のころから聴き理解していたため、二人を結びつける共通感性の言語はジャズだった。秋吉敏子の代表作「ロング・イエロー・ロード」にMonday満ちるが歌詞を書くなど、二人の絆をジャズという言語の会話によって表現した愛情に満ちた話題作。
秋吉敏子: 1929年旧満洲、遼陽生まれ。
小学1年生の時にピアノを習いはじめ、大連音楽学校に進む。引揚げ後、九州の駐留軍クラブでジャズ・ピアニストとして活動を始める。1948年に上京し1951年には渡辺貞夫を加えたコージー・カルテットを結成。1953年、来日したオスカー・ピーターソンに認められ、レコーディングを行いアメリカのジャズ・シーンに紹介される。1956年、26歳で単身渡米し、日本人としては初めてバークリー音楽院(Berklee College of Music、現バークリー音楽大学)で奨学生として学ぶ。1962年チャールズ・ミンガスのバンドに参加。1963年サックス・プレイヤー、チャーリー・マリアーノとの間にMonday満ちるが生まれるが1963年に離婚。1973年にロサンゼルスでフルート、サックス・プレイヤーであり夫でもあるルー・タバキンと秋吉敏子&ルー・タバキン・オーケストラを結成。1974年にジャズと和楽を融合させた『孤軍』を発表。1977年に水俣病を題材にした「ミナマタ」を含むアルバム『インサイツ』がアメリカのジャズ専門誌『ダウンビート』のベスト・アルバムに選ばれる。同誌の読者投票では1978年から、批評家投票では1979年からそれぞれ5年連続1位となる。1997年には紫綬褒章を受章、1999年には国際ジャズ(International Jazz Hall of Fame)の殿堂入り。2006年にはジャズ界では最も権威のあるジャズ・マスターズ賞を受賞する。
Monday満ちる: 1963年東京生まれ。
ジャズ・ピアニストの秋吉敏子、ジャズ・サックス・プレイヤー、チャーリー・マリアーノの間に生まれる。日本映画界で女優として活躍していたが、1991年、アルバム 『mangetsu』のリリースをきっかけにシンガーソングライターとしての キャリアをスタート。ジャズをベースにとしたアシッド・ジャズ、ソウル、ドラムンベース、ラテン、ブラジリアン、など様々なジャンルで多様な楽器を取り入れた無国籍な音楽を作り続けている。またシンガー/ライターとして、DJ Krush, Mondo Grosso, Kyoto Jazz Massive, ベースメント・ジャックス, UA, マスターズ・アット・ワーク, ジョー・クラウゼル, Lisa Ono などとの音楽制作をはじめ、birdへの楽曲の提供やヴォーカル・アレンジなどバラエティに富んだサウンド・ワークを務めるなどミュージシャンとして幅広く活躍。アシッド・ジャズの先駆者としても知られる一方、プロデュースも手掛けるユニークな女性アーティストとしてクラブミュージック界では高く評価される。
掲載: 2015年06月15日 13:43