本人インタビュー掲載!ダン・シーゲルの貴重な初期総集編『ジ・インナー・シティ・イヤーズ』特集
全米ラジオ&レコーズのジャズ・チャート1位を獲得し、ビルボードのジャズ・チャートTOP10に10週間チャートインしたダン・シーゲルの名盤にして全米でのスムース・ジャズ・ブームの火付け役となった大ヒット作の『ザ・ホット・ショット(1981年)』(2ndアルバム)を含む『ナイト・ライド』(1stアルバム)、そして初CD化となる『オアシス』(3rdアルバム)をまとめた3枚組『ジ・インナー・シティ・イヤーズ』登場!ダン・シーゲルの貴重な初期総集編!フュージョン、AORの大家〈LIGHT MELLOW〉金澤寿和 監修!
1st 『ナイト・ライド』収録内容
1.FRIDAY 2.BAD HABIT 3.NITE RIDE 4.LISSAiS LAMENT 5.LOOKING BACK 6.FOKE SONG 7.PHUNKINi 8.QUASAR 9.THE BROADSIDE
Garry Hagberg(g), Lee Ritenour(g), John Klemmer(sax), Rob Thomas(b), Gary Hobbs(ds), Dan Siegel(prod/key)
2nd 『ザ・ホット・ショット』収録内容
1.THE HOT SHOT 2.SWEET TALK 3.A GENTLEMANiS RETREAT 4.ONCE UPON A TIME 5.THE TWISTED 6.THE WILD WEST 7.WALLFLOWER 8.FULL MOON 9.OBLIVION
Garry Hagberg(g), Rob Thomas(b&vln), Jeff Homan(sax),Marc Siegel(vo),Edward & Cindy McManus(horn), Sue Davis(Harp), Gary Hobbs(ds/per), Dan Siegel(prod/key/voice)
3rd 『オアシス』収録内容
1.FIRST DANCE 2.SUGAR BABY 3.OASIS 4.VALDEZ IN THE COUNTRY 5.PENSION PLAN 6.EAT AND RUN 7.BROKEN DREAMS 8.EPILOGUE
Richard Smith(g), Rob Thomas(b&vln), Jeff Homan(sax), Jerry Sokolov(tp), David Bryan(tb), Carlton Jackson(ds), Bruce Smith(per), Dan Siegel(prod/key/voice)
ダン・シーゲル 最新インタビュー(2016)
1. デビュー35周年記念企画として、初期の3枚のアルバム『ナイト・ライド』、『ザ・ホット・ショット』、『オアシス』がリイシューされますが、この頃(70年代後期~80年代初期)はミュージシャンとして作曲や演奏に関してどんなスタイルを目指していたのですか?
この3枚に入っている曲は1979年から1981年にかけて作曲したものです。私は1972年の18歳の誕生日に初めてジャズに触れました。その前の私のバック・グラウンドは主にロックでした。ですからその頃作曲したものはポップ色、ロック色の強いジャズになっています。そういう曲を書きはじめたきっかけは、他のアーティストの音楽をコピーするのに飽き飽きしていたからなのです。
だからこの頃私のバンドはレパートリーが多かったのです。
これまであまりジャンルやスタイルを深く考えたことはなかったですね。自分が感じたものを音にしていくという感じです。
2. 影響をうけたミュージシャン、もしくはライバルと思っていたミュージシャンがありましたら。
トム・スコット& ザ・ LAエクスプレス、ニール・ラーセン、チック・コリア、ハービー・ハンコック、キース・ジャレットをよく聴いていて影響を受けたと思いますが、自分の音楽は良くも悪くもそれとは違う自分の個性が出ます。当時私はアメリカ北西部に住んでいてその地域にはメロディー重視のジャズ・フュージョンが流行っていたと思います。その頃ジェフ・ローバーがポートランドに住んでいて、よく比較をされました。とは言え二人の音楽は全く違いましたね。
3. 作品を追うごとにポップなサウンドになっていったのがわかります。インストルメンタル音楽が最も洗練されたサウンドになっていった時代のせいだと思われますが、ご自身でも意図してそうされていたのでしょうか?それはヒット・チャートも意識して?
ほとんどのアーティストがそうであるように、私も真剣なアーティストと思われたかったので商業的な音楽をやろうとは思っていませんでした。インナーシティ・レコードと契約するきっかけとなったデモ・テープには4曲入っていました。その頃はカセット・テープだったのでA面に3曲、B面に1曲。一番ポップな感じの“Friday”をB面に入れておきました。なぜB面に入れたかというとあまり気に入ってなかったのです。ちょっと軽過ぎて、ポップ過ぎる感じがしたのです。結果的に“Friday”はインナーシティの社長が唯一とても気に入った曲でした。そして後日、芸術と商業的なものとの間のジレンマに気づくことになるのです。
ただチャートの上位に来た時に、こういった曲がラジオやセールスに及ぼすインパクトの大きさにも気づかされました。
4. サード『OASIS』は今のダン・シーゲル・サウンドに通じるものがすでに完成しているように思いますが、ご自身の中の位置付としてはどうでしょうか?
自分の音楽について100%客観的にとらえるのはむずかしいですね。80年代初期の作品と現在の作品を比べて考えたことはなかったです。ここ10年くらいはチャートを全く気にしていません。音楽が生まれて育っていくように作曲をしています。それこそが本当の自己表現方法だと思っています。このアプローチの方がもっともっと自由になります。だからと言ってリスナーが全て自分のやっていることを理解してくれるとは限らないのですが。最近作曲にはとても時間がかかるようになりました。8割は2, 3時間でできるのですが、残りの2割は数か月かかることがあります。
5. いろいろなセッション・ミュージシャンとのレコーディングをされておられると思いますが、当時のミュージシャンと今のミュージシャンではサウンドの作り方もプレイの仕方も違うと思います。昔のミュージシャンのよいところはどんなところでしたか?共演して印象に残っているミュージシャンなどなど。
私は35年ロサンゼルスに住んでいます。レコーディングや映画産業がここをベースとしているから、世界のベスト・ミュージシャンが集まってきます。
私の初期の思い出の一つは1981年頃だったと思います。ベースのエイブラハム・ラボリエルとドラムのジョン“JR”ロビンソンとのレコーディング・セッションでした。
オレゴンから出てきたばかりで経験の浅い私は、これほどの信じられない安定感を持ったファンキーなミュージシャンと演奏するのは初めてでした。テイク1を録り終わったところで気づきました。こういった非凡なミュージシャンとレコーディングをするとまったく違う次元のものができるのだ、と。 その後、そのテイクにトム・スコットがそれまでに聞いたことがないくらいのベスト・ソロを録音してくれました。たった一回のテイクで!
スタジオから出てきた彼に、ヘッドフォンのミックスについて何かリクエストがあればと聞いたら、一言「ヒット・レコード」と言っていました(笑)。 彼はヘッドフォンの調子だけでなく何に関しても不平不満を言いませんでした。彼が帰った後、彼が使っていたヘッドフォンのミックスを確認したところ、なんとも酷い状態でした。その後私はそうした彼の態度をスタジオで見習うようになりました。
この地球のベスト・プレーヤー達に手が届く場所にいるということは何とぜいたくなことでしょう。
音楽を良くできるのは演奏する人間だけですから。
6. 当時の楽器(キーボード)に関してはいかがでしょう?今回のアルバムをレコーディングされた頃はデジタル・シンセサイザーもまだ普及していなかったと思いますが。
初期の頃のアルバムは2声しか出ないシンセサイザー、オーバーハイムを使用していました。だからコードを録音するためには何回かオーバーダビングをしなければなりませんでした。 私はいつもテクノロジーにとりつかれていました。キーボード・プレーヤーとしてはいつでも新しい”オモチャ”を理解していなければなりません。私はパトリック・オハーンとまだMIDIが存在する前にエレクトリック・アルバムを作りました。シークエンスは8つの音の長さだけだったので、レコーディングをする時はボタンを何度も押さなければなりませんでした。だから失敗するとまた曲の頭からやり直しです。その後デジタル・テクノロジーは素晴らしい進化を遂げました。ある時期私も壁のようなシンセサイザーを持っていました。個々のメーカーが独自の個性ある音を出していました。
現在私はこれまで創られたほとんどのシンセサイザーのプラグインを持っています。オリジナル同様になるようにデザインされたものなので、かなり近いものがあります。今は聞くことができるどんな音も作ることができるし、聞いたことがない音まで創ることができます。
7. 今回の復刻に関して、音楽ファンにメッセージをお願いいたします。
今回のプロジェクトは、プロデューサーのヒロ・ヤマシタとポニーキャニオンの協力なくしてはできませんでした。彼等と長く続いている関係がこの再発企画を可能にしました。
ここに収録されているアルバムは私の長いレコーディング・ヒストリーのスタートです。若く、血気盛んな、経験の浅いミュージシャン達がジャズ・フュージョン期に残した録音です。スタジオに戻って直したいところもありますが、まったく見栄を張ってないという点でこれらの録音には価値があるのかもしれません。
長い間私サポートをしてくれている日本のファンに心からお礼を言いたいと思います。
日本は私にとって何度も訪れている特別な国です。文化や人々がとても素晴らしく、いつも尊敬の念をいだいています。また近いうちに皆さんに会いたいと思います。
タグ : フュージョン
掲載: 2016年01月13日 16:18