10月19日~25日分まとめ:『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』50周年記念エディション発売記念、 マスターズ・チョイス ビートルズ・スペシャル!毎日更新!
初めて全編をオリジナル楽曲で構成したサード・アルバム
The Beatles『ハード・デイズ・ナイト』
ジャケの顔芸を眺めて、<ダントツでポールが面白いなぁ>と思ったのは遥か昔の学生時代……ブルースやR&B楽曲のカヴァーでキャリアをスタートした彼らが作るオリジナル楽曲は、最初からとんでもないクォリティーだったが、初めて全編をレノン-マッカートニーによるオリジナルで構成したサード・アルバムである本作は、彼らの天才性を改めて叩き付ける。全米制覇を成し遂げ、<ブリティッシュ・インヴェイジョン>を巻き起こした喧噪の最中に撮影された映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」のサントラという体裁の本作では、極端な多忙のため僅か数日のレコーディングという状況のなかで、信じられない名曲が量産されている。 “A Hard Day’s Night”“And I Love Her”“Can’t Buy Me Love”といった誰でも歌えるクラシックの凄さは何度賞賛しても足りない。“I’m Happy Just To Dance With You”での、8ビートのなかでかき鳴らされるジョンの猛烈な16ビートのギター、“Can’t Buy Me Love”に込められた強烈なメッセージ、“If I Fell”の転調を多用した複雑な曲調とジョン&ポールの息の合ったハーモニー、“Tell Me Why”でのジョンの多重録音による3声コーラス、ジョージ・マーティンのメロウなピアノ、“And I Love Her”や“You Can’t Do That”で使用されているカウベルやボンゴといった楽器の効果など、聴きどころは枚挙に暇がない。ちなみにタイトルは映画撮影中にリンゴが呟いた一言から生まれたという。
オンライン:内田 暁男
内田 暁男の「私とビートルズ」
〈同時代のロックで忙しいし古臭いの聴いてられない〉とイキリながらも、〈ビートルズを聴かなきゃダメでしょ〉という無言のプレッシャーにあっさりと負けて、『Revolver』を中古屋で買って聴いたのは大学時代。“Eleanor Rigby”を聴いて、〈何この過激な音楽!〉と即座にぶっ飛ばされました。。それからはビートルズを全部揃えて、いちいち興奮してたし、ついでにストーンズ、ニール・ヤング、デヴィッド・ボウイ、ヴェルヴェット、ザ・バンド、Tレックス、キンクスなど他無限大の、自分がバカにしてた〈古臭いの〉を揃えましたとさ。。。
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アメリカは南部メンフィスから届けられたアビー・ロードへの粋なトリビュート!
Booker T. & The MG's『マクレモア・アヴェニュー 』
サザン・ソウルを支えたスタックス・レーベルのハウス・バンド、Booker T. & The MG'sからビートルズへのリスペクト溢れる回答。’69年に「アビー・ロード」を聴いたブッカーT. ジョーンズがその革新性に感動し、すぐさま仲間を集めて自分たち流にインストでカヴァーしてしまったのが今作「マクレモア・アヴェニュー」(’70年作品)。ブッカー.T ジョーンズの歌心溢れるハモンド・オルガンに、スティーヴ・クロッパーのギターが鋭くもしなやかに鼓膜に突き刺さり、ドナルド・ダック・ダンとアル・ジャクソンJr.のリズム隊が強烈にドライヴする1枚。ビートルズに刺激されたサザン・ソウルの手練れ達が興奮して楽曲に挑みかかっている様がスリリング。ジョージ・ハリスンの「サムシング」を最初は大人しく始めつつも、後半、ニューオリンズなビートに変わりテンションがガシガシ上がっていく演奏が最高。あ、アルバム・タイトルはスタックス・レコーディング・スタジオがあった通りの名前です。
吉祥寺店:狩野 卓永
狩野 卓永の「私とビートルズ」
振り返ると、オリジナルであれ、カヴァーであれ、オマージュであれ、ラジオからテレビからしょっちゅう流れていて、物心ついた時には刷り込まれていたのが、ザ・ビートルズでした。特別、音楽に溢れた家庭でも無かったので、やはりその存在は普遍的というか、ひとつのジャンルというか、当たり前のように世の中に浸透していたんだなと思います。で、今もそれが進行中というのがすごいですね!
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アルバム・アーティストとしてのはじまり
The Beatles『ラバー・ソウル』
ビートルズといえば当時巷でよくかかっていた“ラヴ・ミー・ドゥ”“抱きしめたい”といったメジャー曲のイメージが強く「よく聴く曲が多いな」と思っていましたが、学生時代たまたま入手したのが本作。知らない曲のほうが多かったのですが、聴きこむほどに馴染んできて、今では一番の愛聴盤となりました。アルバム全体での録音技術向上による成果がアイデアとして随所に盛り込まれ、聴くたびにハッとします。“ミッシェル”での歌うような、“嘘つき女”での独創的なポールのベースラインも耳に残りますが、やはり心地いよいハーモニーとジョンのヴォーカルが最高!“ひとりぼっちのあいつ”の優しく諭すような、“イン・マイ・ライフ”での自己と向かい合うような丁寧な歌声は胸に沁みます。アルバム全体として次作『リボルバー』で全開となる<けだるさ>も見受けられ心地よいです。デビューからわずか2年で当時でも先駆的なアルバム単位でのマスターピースを作り上げたスピード感も驚異的。
オンライン:横山 和彦
横山 和彦の「私とビートルズ」
角川映画「悪霊島」(1981年)の劇場公開版主題歌に「レット・イットビー」が使われており、当時CM等でかかっていた記憶が、明示的なファーストビートルズ体験となり横溝正史とビートルズの組み合わせのコントラストが子供心に強烈な印象を残しました。いまでも同曲を聴くたびに映画の公開時キャッチコピー「鵺の鳴く夜は恐ろしい…」を思い出します。
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最高のエンディングが待っています
The Beatles『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』
<ロック史上の最高傑作>、<初のコンセプトアルバム>など仰々しい形容で評価されてきた代表作ですが、コンセプトは中途半端、<ビートルズ有名曲TOP10>に入りそうな曲も1曲あるかないか、という摩訶不思議な事実。でもそんな事はどうでもいいんです。サイケ賛歌“ルーシー・イン・ザ・スカイ~”、早くも70年代的洗練を放つ“ゲッティング・ベター”など、本気とおフザケと野心が混じった名曲、佳曲に加え、多種な効果音、無謀なテープ編集から派生した音塊は、何度聴いても新たな発見と謎がある。サイケと片づけるには余りに無邪気なアートワークも含めた賑々しい雰囲気はしかし、ラストの“ア・デイ・イン・ザ・ライフ”で早くも「幻想から目覚めよ!」と言わんばかりに冷や水を浴びせられるのです。この唐突な寂寥感と夢落ち的な余韻を味わうだけでも、本作を聴く価値は十二分にあると断言致します。
オンライン:岡本 大輔
岡本 大輔の「私とビートルズ」
近年では「ビートルズ」の偉大さをこの二人が端的に言い切っています。簡潔ながら妙に納得してしまいました。。。
「ビートルズと、我々ローリング・ストーンズは常に比較されてきたけれど、彼らの偉業の足下にも及ばないことくらいは分かってるさ。でもキースはそう思ってないんだ(笑)」 ーチャーリー・ワッツー
「およそポップミュージックに携わっている人間で、直接的・間接的にビートルズの影響を受けていないヤツなんているのかい?」 -ディアンジェロー
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ビートルズのカヴァーは数あれど、「恋」を通して哀愁や悲哀を日本語で歌うビートルズカヴァーアルバム。“幻”のカルト盤!
小山ルミ『ビートルズを歌う』
ビートルズフリークへ超変化球な1枚を。カルト歌謡の最高峰、小山ルミ。60年代後半~70年代序盤にアイドル級の人気を獲得し、ビートルズの日本武道館公演の前座として大舞台に立った<ザ・ドリフターズ>の映画も出演していた彼女。実は遠まわしにビートルズに関連していた彼女の73年リリースのアルバム。ここ日本でも多くのビートルズカヴァーが数あれど、幻のカルト盤として有名なのが、小山ルミ『ビートルズを歌う』だ。ビートルズのオリジナル歌詞とは似て非なる独特な日本の詩世界、そして、流暢な英語発音と全くオリジナルには寄せない歌謡曲特有の伸びやかで力強く歌い上げたボーカル、このボーカルにマッチした前期・中期・後期とバランスのよい選曲と申し分ない内容で、日本とイギリスの哀愁や悲哀がブレンドされたオンリーワンなカヴァーアルバムだ。お宝好きには<秘宝盤>として、若い世代には<これまでにない新しさ>を感じさせる1枚として新たな魅力を感じさせること間違いなし。
メディア編集部:田口 淳
田口 淳の「私とビートルズ」
インターネットも黎明期で検索1つで全ては知れず、伝聞や雑誌・TVでの数少ない特集が情報源だった時代。それは、つまりアーティストのベールが身ぐるみ剥がされない時代。中・高と今でいう“中二病”であった自分が知りえた数少ない情報の中で、<ロック=反抗>を音楽も生き方も全てにおいて体現していたヒーローがジョン・レノンでした。さいたまスーパーアリーナにできた「ジョン・レノン・ミュージアム」にも通い詰めて、毎年誕生日、命日には必ず巡礼して献花。そんな自分がタワーレコードの入社面接で面接官の店長(現社長)からの<ジョン・レノンのソロはどの時期が一番好きか>という質問に、面接という場を忘れて、あーじゃない、こうじゃないと語ってしまって、面接後に落ち込んだのも良い思い出です。
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怪物バンドが放った、最後の閃光
The Beatles『アビイ・ロード 』
学校の音楽の授業で習ったためしばらくはビートルズを嫌いになり、のちのち大後悔した私が選ぶ1枚はコレ。ジョージ・マーティンも、「『サージェント・ペパーズ』よりも、このアルバムを好む」との言葉を残してます。自分と一緒だ。解散寸前の状況でメンバー間の関係も緊張状態にあったにも関わらず、よくここまでまとまったなあ、というのが率直な感想。ジョンのロックナンバー、ポールのマルチな音楽テクニック、ジョージの最高な2曲、リンゴの素晴らしいドラミングと、メンバー全員が輝いてます。レノン/マッカートニーの曲ももちろん素晴らしいが、ジョージの曲が白眉の出来。”SOMETHING”は、ポールがこのアルバムのベストの曲だと認め、フランク・シナトラもお気に入りだったという名ラブソング。シナトラは同じくジョージ作曲の”HERE COMES THE SUN”も気に入っていたらしいです。有名なB面のメドレーは、今でもポールのライブのハイライトとなっており(私も東京ドームで昇天しました)、曲間がなく名フレーズが次々と飛び出す怒涛の展開!内容、構成を含め、'60年代に世界を席巻した天才たちによる怪物バンドの最後を飾るにふさわしい劇的なクライマックスです。
オンライン沼田 誠
沼田 誠の「私とビートルズ」
中学の授業でビートルズの曲を歌ったことや、10代の頃はパンクが好きだったので、ビートルズはよく聞きもせず勝手に敵視してました。ちゃんと聞きはじめて認識がかわり、その後はすっかりファンになりました。好きな曲は“Tomorrow Never Knows ”、“A Day In The Life”のはビックリしました。
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最もカラフルなアルバムといえばこれでしょう
The Beatles『マジカル・ミステリー・ツアー』
個性派ぞろいの楽曲を収録した『マジカル・ミステリー・ツアー』の中でもひときわ異彩を放つ“アイ・アム・ザ・ウォルラス”。RED WARRIORSのシングル『バラとワイン』のカップリングとして収録されていたカヴァー・ヴァージョンでこの曲を初めて聴いたのですが、ストレートなロック・アレンジをほどこされたレッズ版を聞きなれていたため、オリジナルの良さがしばらく分からないという、変にチューニングされた「耳」になっていたのは今になってはいい思い出です(ニッコリ。メロディやストリングスなど多彩な楽器を用いたアレンジにより、アルバムのカラフルさが演出されているのは当然のこと、この時期のスタジオワークで獲得した逆回転やテープコラージュなどのエフェクティヴなレコーディングテクニック、緩急をつけたリズムアレンジなども彩を加えることに大きく寄与しています。表題曲の“マジカル・ミステリー・ツアー”がまさにそれで、パートごとのリズムアレンジが、映画における場面転換を想起させます。リズムといえば“ ストロベリー・フィールズ・フォーエバー”についても言及せざるを得ないでしょう。実際に訪れたことが無くても何故かストロベリー・フィールズに対する郷愁のようなものを感じてしまうのは、サビ部分のドラムとグリッチノイズのようなテープコラージュ(?)が「どこどこ」と、心の奥底の集合的無意識を刺激するからに違いありません。最終曲が“愛こそはすべて”というサイケデリックな時代を象徴するタイトルなのもいいですよね。
オンライン佐々木正昭
佐々木正昭の「私とビートルズ」
恥ずかしながらビートルズの正規作品を買ったのは、20才を過ぎてからでした。興味が無かったからではなく、高かったからです。「高い?」と疑問に思うかたも多々おられると思います。理由を説明します。当時、私は新譜以外を新品で買うという頭が全くありませんでした。ビートルズは永遠のマスターピース。つまり、中古でも値崩れしない=高いという事です。ビートルズは「いつか買うリスト」にしっかりと登録されていましたが、なかなか購入設定価格(1,000円以下)の商品に出会う事がありませんでした。そんなある日、いつものようにワゴンセールをあさっていると、掃き溜めに鶴が!そうですビートルズがあったのです。それも、飛び切りのヤツです。『Rubber Soul』です。やりました。ありがとうございます、ワゴンセール。ワンコイン、500円(当時は消費税が5%だったので、正確には525円)。そんなリーズナブルな価格から容易に推測できますが、盤のコンディションは最悪でした。しかし、音飛びもなく聴くには十分。しばらくの間、なんどもリピートして聞き込んだという事でした。おしまい。
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ビートルズ 迷ったときは リボルバー
The Beatlesリボルバー
サイケデリックの要素を取り入れつつも、全編に渡って極上のメロディとハーモニーを聴かせてくれるポップスとしてもロックとしても完成度が高すぎる傑作。当時のレコーディング技術をとことん駆使して具現化されたメンバーたちの天才的な閃きの数々は、リリースから50年以上経っているとはとても信じ難いサウンドプロダクションを生み出している。“TAX MAN”で勢いよく飛び込んだ音の渦の最後に待つ“TOMMOROW NEVER KNOWS”というカモメ鳴く桃源郷。何度でも辿り着きたい音楽のユートピア。さあ、あなたもご一緒に。
オンライン諏訪 一宏
諏訪 一宏の「私とビートルズ」
初めてちゃんとビートルズの楽曲に向き合ったのは、高校時代に買ったEXTREME「TRAGIC COMIC」収録の「HELP!」のカバー。いい曲だとは思いつつもヌーノ・ベッテンコートに夢中だった高校生は本家のアルバムに辿り着くことなく、時は流れて09年のステレオボックスでようやくTHE BEATLESの全スタジオ・アルバムと向き合うことに。その時「自分はストーンズ派なんで」とか言いつつ、今までこの傑作たちを聴いてこなかったことを後悔したものです。
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赤いから赤盤!
The Beatlesザ・ビートルズ 1962年~1966年
通称『赤盤』。解散から3年後に発売された、前期の2枚組ベストアルバム。『プリーズ・プリーズ・ミー』から『リボルバー』までの時期に発表された曲が収録されている。前期はシングルのリリースが多かった為、全26曲中18曲がシングルカットされ、そのうち14曲が英1位を獲得。ジャケットは『プリーズ・プリーズ・ミー』の別カットの写真が使用され、見開きに使われたのは『マッド・デイ・アウト』と言われている1968年に行われたフォトセッションでの教会の写真。メンバーを含む全員が柵の外にいるのに、1人だけ柵の中でポーズを決める少年が印象的。個人的な思い入れではあるが、今から約30年前に下北沢のアナログ中古盤屋で買った初めてのビートルズ作品。“シー・ラブズ・ユー”“抱きしめたい”“イエスタデイ”などの名曲の数々は、当時中学2年生だった僕の脳ミソを簡単にぶっ飛ばし、その後音楽漬け人生を歩むきっかけとなった一作。リリースから45年経った今でも、入門編として最適。
オンライン中澤 純一
青いから青盤!
The Beatlesザ・ビートルズ 1967年~1970年
通称『青盤』。赤盤と同時に発売された、後期の2枚組ベストアルバム、『サージェント・ペパー』から、『レット・イット・ビー』までの時期に発表された曲が収録されている。赤盤はジョンとポールの曲だけだが、こちらにはジョージ(4曲)とリンゴ(1曲)の曲も入っている。ジャケットは幻の作品『ゲットバック』で使用される予定だった写真。『プリーズ・プリーズ・ミー』のジャケットと同アングルで取られているが、わずか数年でメンバーの姿は一変しており、彼らが短い活動期間をいかに凄まじい速度で駆け抜けたかを物語っている。個人的には、赤盤の次に買った今でも一番良く聞く作品。冒頭の“ストロベリー~”から“ペニーレインへ”の流れは今でもゾクゾクするし、エンディングの“レット・イット・ビー”“アクロス・ザ・ユニヴァース”“ロング・アンド~”の流れは説明不要の素晴らしさ。赤盤とあわせて、ビートルズが残した全213曲のうち54曲を抑えられるので、是非揃えて欲しい一作。
オンライン中澤 純一
中澤 純一の「私とビートルズ」
中学2年でビートルズに目覚め、はじめてのビートルズ体験は2002年のポール来日公演「driving Japan Tour」。名曲の数々にガチ泣きしたのを憶えています。先日、軽井沢旅行でジョンが愛した「フランスベーカリー」に行ったものの、残念ながら休業日だった為、近いうちにリベンジしようと思っています。
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それは至極の「愛の音像化」、The Beatlesの歴史と並走した"ヨーコの軌跡"の起点
John Lennon & Yoko Ono『「未完成」 作品第1番 トゥー・ヴァージンズ』
「世界で最も有名な日本人」他数々の渾名を持つオノ・ヨーコ。フルクサスとの活動にも代表される様に女性前衛芸術の旗手でもあるが、ジョン・レノンとの一連の活動が良くも悪くも彼女の名声を高めたことは紛れも無い事実である。そしてその最大のターニングポイントになった作品こそこの未完成作品と銘打たれた「Two Virgins」である。器楽と絶叫の即興セッション、おおよそ15分ほどの2種のトラックで構成された作品を"いわゆる"音楽として知覚するのは極めて困難だろう。しかしこの作品の本質はそこにはない。恋慕を募らせた(それが倫理的に問題であったとしても)2人の音楽家/芸術家が半ば衝動的に創り上げた作品、それは生々しさの点でもあまりに鮮度の高い愛の結晶なのだ。2人の「創意のぶつかり合い」であると同時に、「2人がいる」という状況のサウンドスケープ。この作品が持つ得体の知れない熱量、それは月並みなラブソングにはない圧倒的な説得力を帯びているのである。更に2つの未完成作品の製作後、本格的な音楽活動に乗り出すこととなる。プラスチック・オノ・バンドの結成、ソロ活動、ジョン・レノンの死を経て2018年の最新作「ウォーゾーン」に至る。また2016年より彼女の「再評価プロジェクト」で進行しており前述の未完成作品やソロ作品を、最新リマスター・CD/Vinylの2形態でリリースしている。彼女の軌跡を改めて追うのもまたThe Beatles探究なのかもしれない、と僕は思う。
オンライン:板谷 祐輝
平和を見つめたヨーコの音楽は、再解釈の果てに今力強く世界に響く
Yoko Ono『ウォーゾーン』
「平和を叫ぶ」とはこのことなのだろう。過激ながらも常に平和を考え続けたオノ・ヨーコの音楽だからこそ、それを感じることができる。2013年の《Take Me to the Land of Hell》以来5年ぶりとなる最新作、それはただの過去作のセルフカバー集と断ずるにはあまりにも"強すぎる"作品だ。確かに《無限の大宇宙》や《空間の感触》などのソロ作に収録されていた楽曲を現在に合わせた音像に作り替えているのだが、その根底には平和への強い意志が横たわっている。冒頭の「Warzone」は動物の鳴き声と銃声を加えたことで生々しく、「Woman Power」は今の声で叫ばれより力強く、そして「Imagine」はあまりに神々しく。元々彼女の音楽は"音楽という域"を超えたメッセージを孕んでいるが、本作はそれを如実に感じることができる。まだまだ僕は、世界はオノ・ヨーコを必要としている。
オンライン:板谷 祐輝
板谷 祐輝の「私とビートルズ」
僕はビートルズをリアルタイムで知らない。あるテレビ番組のオープニングで流れる「Help!」くらいが僕とビートルズの接点だった。母はビートルズが好きだった。クラシック音楽好きだったはずだがそれでもビートルズは母の琴線に触れていた。あぁビートルズって音楽における"インフラ"なんだ、そう思った瞬間余計にビートルズから離れたいと思った。そんな幼少期を経たある時、一人暮らしをしていたアパートの近くにあったパスタ屋にフラっと入った。そこはひたすらビートルズが流れていた。いや、ビートルズ以外は流れなかった。マスターはカバーも演るくらいビートルズ狂いだった。少し話した時の、そのビートルズ愛とも言うべき熱量は尋常じゃなかった。何が彼をそんなに惹きつけるのかという興味もあったが、それ以上にその愛に当てられたのかもしれない。気づいたら「サージェント・ペパーズ~」を聴いていた。
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ビートルズは音楽だけじゃない!映像においても金字塔を打ち立てていたのだ!
The Beatles『マジカル・ミステリー・ツアー』
音楽がレコード、CD、デジタルと変遷していても、アーティストに紐づく、グッズやMVなどの映像作品など<モノ>は多くある。ビートルズがこれら<モノ>の礎を築いていた(ハシリだった)ことはあまり知られていないかもしれない。その1つが今なおアート・フィルムとして誉れ高い『マジカル・ミステリー・ツアー』だ。この作品はヒッピー・カルチャーやフラワーパワーの影響を受けつつ、奇想天外なストーリーとカラフルかつシュールな内容で、67年にBBC1(モノクロ)で放送された視聴率は75%を記録したものの評論家からはひどく酷評された作品だった。しかし、ハリウッド映画の巨匠、スティーブン・スピルバーグもこの作品に刺激を受けたと語り、後の多くのヒット作の礎となっている。また80年代に入り、MTVの登場によって評価が大きく変わった。ストーリー仕立てのフィルムとなった、マイケル・ジャクソン“THRILLER”が代表例で、『マジカル・ミステリー・ツアー』が現在の礎となっていることがうかがえる。67年当時、世の中が追いついていけず理解されなかったものが、別の角度で影響を与え、別の形で世の中に戻ってくるという大きなうねりを生んだのだ。
メディア編集部:田口 淳
田口 淳の「私とビートルズ」
インターネットも黎明期で検索1つで全ては知れず、伝聞や雑誌・TVでの数少ない特集が情報源だった時代。それは、つまりアーティストのベールが身ぐるみ剥がされない時代。中・高と今でいう“中二病”であった自分が知りえた数少ない情報の中で、<ロック=反抗>を音楽も生き方も全てにおいて体現していたヒーローがジョン・レノンでした。さいたまスーパーアリーナにできた「ジョン・レノン・ミュージアム」にも通い詰めて、毎年誕生日、命日には必ず巡礼して献花。そんな自分がタワーレコードの入社面接で面接官の店長(現社長)からの<ジョン・レノンのソロはどの時期が一番好きか>という質問に、面接という場を忘れて、あーじゃない、こうじゃないと語ってしまって、面接後に落ち込んだのも良い思い出です。
タグ : マスターズチョイス
掲載: 2018年11月10日 00:00