『NME』『MELODY MARKER』『Rockin’ on』『CROSSBEAT』など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ久保憲司氏の週間コラムがbounce.comに登場! 常に〈現場の人〉でありつづけるクボケンが、自身のロック観を日々の雑感と共に振り返ります。
2004年 8月29日(日)THE WHO『Quadrophenia(邦題:四重人格)』
ここ何週間かベストなライヴ・アルバムを紹介してきたけど、今週はぼくにとってのベストなスタジオ・アルバムを紹介したい。それはフーの『Quadrophenia(邦題:四重人格)』である。ビートルズの『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』よりもセックス・ピストルズの『Never Mind Bollocks』よりもぼくは『四重人格』を一番にあげる。大人の振りをしてロック史上一番のアルバムはマーヴィン・ゲイの『What's Going On』と言いたいけど、やっぱフーの『四重人格』でしょう。
ロリコン写真をネット上で入手してしまったために活動を制限されたピート・タウンゼントは、フー時代のアルバム『Tommy』を5.1chサラウンドにするために聴き直し、「こんなんだっけ?」と愕然としたそうだ。歴史的アルバムがこんなにしょぼい音だったのかと思ったのだろう。ぼくもそう思う。マネージャーのキット・ランバートの意思が強かったのか、『Tommy』にはどこかミュージカル・アルバムのようなソフトな面があった。ロック・オペラだから問題ないんだろうけど。それが子供の頃のぼくには不満だった。今は別にそう思わないんだけど。
しかし、それに比べて『四重人格』は力強い音をしている。初めて聴いたときはまだぼくも子供で、しかもパンク前夜だったからこの力強さがわかっていなかったんだけど、これはソウル・アルバムだったのですね。リリースされたのが73年……、パンクが起るより全然前の話です。『What's Going On』やボビー・ウーマックが歌うサントラ『across 110th street(邦題:110番街交差点)』のように美しくも、力強いサウンドをピート・タウンゼントは目指していたのではないでしょうか? このアルバムがリリースされる前に作られ、完成を前に挫折したロック・オペラ3部作の一つ『Lifehouse』はカントリー色が強い。ピート何げによく考えている。えらい。
『Tommy』とは、あの時代のヒッピー文化への反発、「ドラッグやっても何も変わらないぜ、音楽がすべてだ」というメッセージだった。『Lifehouse』では、「音楽がすべてだ」と言ったピートが、革命的な音楽とは何かということを具体的に提示しようとした作品なのだ。ピートが求めたのは、その音楽を聴いて蜂起した民衆がロック・バンドを乗り越え、自己を確立するという文字どおりの〈革命〉だった。そしてそんなもの作れるわけはなく、暗礁に乗り上げる。でもその残骸は『Who's Next』というロック史に残る名盤となる。
今、『Who's Next』のスペシャル版には、このライフハウス・プロジェクトのライヴが入ってる。2000年に行われたライヴを収録したピートのDVD『Music From Lifehouse』よりもそれが一番本来の『Lifehouse』に近いんじゃないかとぼくは思っている。英語が分かればな。もっと勉強したい。
『四重人格』は一人の青年の挫折と再生なのかと思っていたのだが、こうして聴き直してみると、どうも「なぜ民衆(ピート自身も含め)は立ちあがらないんだ」といういら立ちをテーマにしているような気がしている。最後の曲“Love Reign On Me(邦題:愛の支配)”は、勝利の歌だと思っていた。愛だけがぼくを救うとか、そういうことなのだと思っていた。でも最後にロジャー・ダルトリーはこう歌う「おー神よ、ぼくは冷たい雨が必要なのです」。ぼくにはブルースでよく歌われる、私の罪(何も出来ない)を洗い流してくださいと言っているように聞こえる。敗北の歌である。
でもこのアルバムは力強い、理由は先ほども書いたようにソウル・アルバムのように地に足がついた作品だからである。ぼくはクラッシックを真剣に聴いたことはないが、このアルバムからはクラッシックに近い力強さと美しさを感じる。『Tommy』から始まったピートの「音楽とは何か?」という探求の旅はここで一応の結末を迎える。その終わりはほろ苦いものだったけど、ぼくの中では音楽で何かを変えられるという思いは永遠に変わらないだろう。ピートの思いも同じはずだ。その証拠として、ライフハウス・プロジェクトが未だに継続中なのだ。