『NME』『MELODY MARKER』『Rockin’ on』『CROSSBEAT』など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ久保憲司氏の週間コラムがbounce.comに登場! 常に〈現場の人〉でありつづけるクボケンが、自身のロック観を日々の雑感と共に振り返ります。
2004年 9月7日(火) NEW YORK DOLLS『New York Dolls』
うわっーー!! 久しぶりに聴いたらむちゃくちゃいい!! ちょっと衝撃。セックス・ピストルズの『NEVER MIND THE BOLLOCKS(邦題:勝手にしやがれ)』よりいいんじゃないかい。というかピストルズはまるっきりこれのパクリなんじゃないだろうか。
ピストルズが“New York”で「ただのジャンキーだ」とバカにしたことの返答として、ジョニー・サンダースは“London Boys”で「お前らただの操り人形じゃねーか」とやりかえしている。子供の頃はそれを聴いて「ジョニー大人げないなぁ、それにお前ら本当にジャンキーやん」と思っていたのですが、あらためて聴くとジョニーの方が正しい気がしますね。
セックス・ピストルズのDVD「No Future」で、スティーヴ・ジョーンズがジョニー・サンダースのサウンドから動きまで、完全にマネしているのには感動する。そこから独立しようとしたスティーヴ・ジョーンズにも感動する。いい師弟関係です。残念ながらスティーヴ・ジョーンズが憧れていたジャンキー以前のジョニー・サンダースのベストなライブ映像は残っていない(たぶん)。本当にかっこよかったんだろうな。見てみたかった。
ぼくの持っている『New York Dolls』には歌詞が載ってなかったので、どこが政治的なのか全然分からないけど、存在自体が政治的だったんだろう。ジャケットもかっこいい。白黒にルージュの落書き、中ジャケのニューヨークの普通のストリートに立つ彼ら、かっこいい。ジョニー・サンダースの顔の小さいこと、男前、もててたんだろうな。ちなみにジャケットでは、メンバー全員のあそこが異様にでかいのですが、あれは全部詰め物です。あの時代のアーティストはよく、チンポがでかく見えるように写真を撮っていますが、みんな詰め物ですから安心してください。「外人のはでかい」と日本人は言うけど、ほんとはそんなにでかくないですよ。
先週書いたフーの『Quadrophenia(邦題:四重人格)』も、『New York Dolls』と同じ1973年でしたが、パンク以前にストリートに帰ろうという動きがあったんですね。ブラック・ミュージックやブラック・ムービーが、本当の黒人社会を歌いだしたこととも関係していると思う。クラッシュが歌った、「黒人が石を投げているのに俺たちどうする?」という感じ。
98年に公開された映画「Velvet Goldmine」に合わせて、素晴らしいグラムの本が出ていて(すいませんタイトル忘れました)、それにニューヨーク・ドールズの章がありましたが、バンド創世記の感じがとてもよく描けていてよかったです。小さなライヴ・ハウスにニューヨーク中のおかしな奴らが集まる感じ、グラムやヴェルヴェット・アンダーグランド、アンディ・ウォーホルに影響されながらも独自のスタイルを作ったニューヨーク・ドールズ。それが何なのか、ぼくにはうまく伝えられません。73年のニューヨーク、ヒッピーやウォホールの落し子、見捨てられた子供たち、自由なようで自由じゃない子供たち。アメリカで初めて親の世代よりも貧しくなる生活を余儀なくされた子供たち。ナン・ゴールディングの写真のような世界。エイズによってなくなった世界。
でも、このアルバムにはその時の空気は残っています。トッド・ラングレンによるポップな素晴らしいプロデュース。そしてバンドのロックン・ロール。ハートブレイカーズはロックン・ロールに負けているだろうと思っていたけど、全然。どんなバンドよりもロックン・ロールしている。ぼくはいつまでもこのCDに合わせて踊り続けます。