『NME』『MELODY MARKER』『Rockin' on』『CROSSBEAT』など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る週間日記コラム。今週は、初期ピンク・フロイドのリーダーを務めたシド・バレットのドキュメンタリーDVDを紹介。
2004年10月11日(月)「ピンク・フロイド&シド・バレット・ストーリー 」(DVD)
先週見たオアシスのDVDに感動して、DVDにハマってしまいました。新しいアーティストの作品を買えばいいのに、つい昔の映像に目がいってしまいます。最近、元ピンク・フロイドの初期リーダー、シド・バレットのドキュメントDVD「ピンク・フロイド&シド・バレット・ストーリー」を見ましたが、もっと古い秘蔵の映像があるのかと思ったらそれほどでもなかったです。でも、「シド・バレットがどう凄かったのか」を、ピンク・フロイドのメンバー、ロビン・ヒッチコックらが語っている姿を見ると感動します。特に元ブラーのギタリスト、グレアム・コクソンが最高。ブラーにどれだけシド・バレットの要素が流れ込んでいるか、この映像だけで切々と伝わってきます。相変わらず「なぜシド・バレットは気が狂ったのか」は分からないのですが。
前にブライアン・イーノのソロを紹介しましたが、イーノもシド・バレットが好きだったのです。シド・バレットのポップさや、イギリスらしいメロディと詩を。ぼくもそういう部分が大好きです。ソロ1作目『The Madcap Laughs(邦題:帽子が笑う……不気味に)』はそういう部分がよく出ているだろうと聴き直したのですが、あまりうまくまとまっていない。ピンク・フロイドのデビュー作がやはりシドのベストなんでしょうか? この1作目はけっこうまともだと思っていたのですが、あまりよくなかったです。というか、素晴らしい前半となんかグダグダの後半。“Gigolo Aunt”、“Baby Lemonade”などの名曲が入った2作目『Barett(邦題:その名はバレット)』にも同じような印象を持っていたのですが……。
でもぼくはシド・バレット、イーノ、ワイヤーなんかが持っているイギリス人独特のポップさがとても好きです。XTCもここに入れていいような気がします。というか、アンディ・パートリッジもシドを崇拝していたはずです。
シド・バレットがなぜ気が狂ったかというと、ぼくはピンク・フロイドの3枚目のシングル“Apples & Lemons”がセールス的に失敗したことが大きかったんじゃないかと思っています。シド・バレットみたいな天才は、「自分はビートルズになれる」と思っていたんじゃないでしょうか。ファースト・シングルとセカンド・シングルの“Arnold Rain”、“She Emily Play”が上り調子だったのに、“Apples & Lemons”がそれほど売れなかったことの挫折。そこから全ての歯車が狂っていったのではないでしょうか。
昔ピンク・フロイドの元マネージャー、ピート・ジェナー(もちろんこのDVDにも出てきます。イアン・デューリーやクラッシュのマネージャーを経て、今はビリー・ブラッグのマネジャー)にインタビューをしたことがあるんですが、当時はシド・バレットがおかしくなったとは思っていなかったそうです。ピート・ジェナーはシドがピンク・フロイドを脱退したら、ピンク・フロイドのマネジャーをやめてシド・バレットのマネジャーになるのですから。
イーノが憧れたのはシド・バレットの素晴らしい言葉使いなんでしょう。プログレッシブ・ロック時代は、みんな夢みたいな、まるで童謡のような世界を歌詞で表現していました。シドの歌もそういう歌です。でもシドの歌だけ、ぼくにはいまだにリアルに聴こえます。
パンク時代もシド・バレットはヒーローでした。ダムドがセカンド・アルバムでピンク・フロイドのニック・メイスンにプロデュースを頼んだのもそういうことだし、セックス・ピストルズまでもがシド・バレットにプロデュースを頼もうとしたのもそういうことでしょう(当時マルコム・マクラレーンがシド・バレットと待ち合わせをしたけど、ルックスの変貌ぶりにシドに気付かなかったという話もあります)。
80年代のなかば、ぼくはこのDVDに出てくるアーティスト、ダギー・フィールズにもインタビューをしたことがあるんだけど、インタビューの途中でダギーが昔シド・バレットと共同生活をしていたことを思い出しました。「あなたは昔シド・バレットとルームをシェアしてましたよね?」、「ここがそのフラットだよ」。ぼくは部屋中を見渡しました。もの珍しさで見渡したのではないのです、どこかでシド・バレットが笑っているような気がしたのです。