NEWS & COLUMN ニュース/記事

第37回 ─ 天才、トレント・レズナーの内面を描ききったナイン・インチ・ネイルズの新作

連載
久保憲司のロック千夜一夜
公開
2005/05/12   21:00
テキスト
文/久保 憲司

『NME』『MELODY MARKER』『Rockin' on』『CROSSBEAT』など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る日記コラム。今回は、サマソニ出演も決まっているナイン・インチ・ネイルズの新作について。

2005年5月8日(日) Nine Inch Nails『With Teeth』

  タワー・レコードの店内から流れるナイン・インチ・ネイルズの新作を聴いて、「えらくポップになったな。ギターものか、トレント・レズナー本当に壊れたのかなぁ」と思っていたのですが、こうして家で聴くと全然印象が違ってました。特にポップだと思った1曲目“All The Love In The World”はとても新鮮で、かっこいいと思った。

 トレント・レズナーのインタビューを読んで、今作『With Teeth』が酒とドラッグでグシャグシャになっていた自分の再生アルバムだというのはよく分かっていたのだが、それ以上のものだという手応えに「さすが天才!」と感動している。全然ぶれていない。面白くないと思えば元レイジのザックとの共同作品もお蔵入りにしてしまう決断力は本当に凄い。この手の音が失速していくなかで、やはりなぜナイン・インチ・ネイルズの音が今も新鮮に聴こえるかは、この決断力があるからなのだ。

  日本盤には対訳しかついていなく、英詩はオフィシャルサイトからダウンロードしなければならないのだが、この感覚がファンとの繋がりを大事にしているようでとても好感が持てた。その対訳をガイド・ラインに英詞をコンピューターで追いながら今作を聴いていると、これがいいんだな。トレント・レズナーの中に入っていくようで。グリーン・デイの『American Idiot』が外の世界に向けたコンセプト・アルバムだとすると、『With Teeth』は内に内に向いたアルバムだ。

  彼らの過去作、『Pretty Hate Machine』(89年)、『The Downward Spiral』(94年)、『The Fragile』(99年)は、自らのカオスをカオスのまま武器に、たとえ破滅しようがとことんやってやろうというアルバムだった。それがナイン・インチ・ネイルズだった。僕的にはキリング・ジョークやクロックDVAなどのイギリスのポスト・パンク、インダストリアル・ミュージック、ボディ・ミュージックの完成形、究極だと思い興奮していた。ニルヴァーナがイギリスで起こったパンクを十年経ってやっとアメリカのミュージックとして完成させたように、ナイン・インチ・ネイルズは、アンダーグラウンドで終わっていた音楽を成功させてくれたんだと喜んでいた。そしてもう一点彼について評価したいのは、ノイジーな音楽を最高のハイファイ・サウンドで作っていたことだ。このクオリティの高さはまさにアンダーグラウドのプリンス(アーティストのね)だな、とぼくは思っていた。

  『With Teeth』は〈その後〉のアルバムである。カート・コバーンもこういったアルバムを作らなければならなかったのだ。イギー・ポップで言うと『The Idiot』、『Lust for Life』のようなアルバムである。デヴィッド・ボウイと二人で、売人の来ないベルリンに逃げ込み、二人してジャンキーの世界から立ち直る決意をし、リハビリのように彼らはあのアルバムを作った。アメリカの狂気を歌ってきたイギーは、「俺はストレンジャーだから」と社会から一歩身を引く姿勢をとることによって自分のカオスから抜け出そうとした。

  しかし、トレント・レズナーはしっかりと自分に噛み付こうとしている。酒、ドラッグをやめて体勢を立て直し、このアルバムに向かったという話と、レコード店で聴いた時のポップな印象から、「俺は元気になった、フリーだ、愛が全てだ」というようなアルバムになるのかと思っていたら、トレント・レズナーはやっぱりトレント・レズナーだった。答えはどんどん内面に入り込み、何も解放されないけど、解放されているというか、敵が何なのかよく分かっているというか。おもしろい。このテーマ、デヴィッド・ボウイ『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』、ピンク・フロイド『The Wall』などで使い古されている。そしてこの2作は、ロックが産業となってしまったために、ピエロにならざるを得なかったミュージシャンの敗北感が生んだ実に70年代的なアルバムだったが、トレント・レズナーは今作で何もなくなった現在のシーンらしい答えを出していると思う。

 1曲目で「愛で救われる」と歌い、2曲目で「そんなことお前は言えるのか、お前が誰なのか忘れたのか」と歌い、3曲目で「自分がどうして出来てきたか」を歌い、4曲目で「戦おう」と歌い、5曲目で「愛だけじゃダメなんだ」と歌っている。そして、戦い、内へ内へとどんどんと入っていく。これは僕の解釈なので、皆さん自分で感じてみてください。でもこのアルバムの緻密さはやはりナイン・インチ・ネイルズなのです。ハードな音だけではなく、何百万人というファンの心を掴んできた理由がここにある。来日も楽しみである。