『NME』『MELODY MARKER』『Rockin' on』『CROSSBEAT』など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る週間日記コラム。今週は、フジロックの復活ライヴを前に、ダイナソーJrが残した名盤3枚をおさらい!
2005年7月19日(火) Dinosaur Jr.『Dinosaur』、『You're Living All Over Me』、『Bug』
既に海外で行われたダイナソーJrの復活ライブ1曲目は“Gargoyle”だったらしい。こんな暗い曲でいいのか? でも、それがダイナソーJrなのだ。そのライヴでの曲順はまるで87年のセットリストみたいだなぁ……と思いながらも、その曲順に組み替えて一度通して聴いてみた。いいすね、やっぱ。不思議なのは何一つ古くさく感じないことです。何でだろう。
彼らは8月31日にロンドンで、セカンド・アルバム『You're Living All Over Me』を、アルバム1枚分そのまま再現するという企画ライヴをやるそうだ。これは〈Don't Look Back〉というシリーズで、ストゥージズが『Fun House』を再現したり、ギャング・オブ・フォーが『Entertainment』を再現したりするというとんでもない企画。イギリスのロックも大変な事になってます。ますますオッサン化というか、盆栽化というか。でも状況の変化にすぐに対応して商売にするとこがイギリス人の面白いところだと思う。
それはさておき、今回の3枚の再発を聴き直してビックリしたのは一枚目のアルバム『Dinosaur』からダイナソーJrの音が完成されていたということだ。名曲“Repulsion”はこれに入っていて、ダイナソーJrというバンドがスタートから完成されていたことがわかる。そして今回思ったのは、ニルヴァーナってやっぱりダイナソーJrのフォロアーだったのだということ。音の疾走感、音圧、スィートなメロディ、といったニルヴァーナの専売特許と言われていたものは全部ここにもある。ニルヴァーナの疾走感は彼ら独自のものと思っていたので、ちょっとショックだった。ルー・バーロウが抜けて活動停止状態だったダイナソーJrを何とか動き出させた業界の狙いは〈ニルヴァーナの元祖だから絶対売れるだろう〉と確信していたからなんじゃないだろうか?
ぼくはこの辺の流れが全然分かっていなかった。ダイナソーJrに関して、元ブラック・フラッグのグレッグ・ギンが立ち上げたインディー・レーベル、SSTからアルバムをリリースしているという理由だけで、もっとハードコアな印象を持っていた。ダイナソーの疾走感はバースディ・パーティーなのか。ニール・ヤングみたいに歌う曲もある。ロバート・スミスみたいな歌い方もある。もしかしたらダイナソーってロックの残骸を寄せ集めようというバンドだったのかもしれない。CD世代の今となってはこの当たり前の方法論を一番最初にやったのが、ダイナソーだったんじゃないだろうか。〈ダイナソー〉って名前も過去の遺物への哀愁が込められている感じがするよな。Jrってその子供ってことかい。
Jマスシスが昔インタビューで、「SSTレーベルからレコードを出せればそれでよかった。次にどうしたいか、何も考えていなかった」と言っていた。それ以前の彼は、どこかのメジャー・レーベルのシングル・コレクション(先に1年分12枚のシングル料金を払えば、毎月1枚最新シングルが送られるというもの)を心待ちにしていた少年だったそうだ。
輸入盤屋が一軒もない田舎が多いアメリカらしい商売だ。ちなみに、このシリーズは好きな人が多かったみたいで、サブ・ポップとラフ・トレードも真似していた。インディの場合は何とか先に制作費を稼いで、どこかでヒットが出ればいいかという発想だったんじゃないかと思う。かっこいいアイデアだけど、どこも長続きしなかった。ちょっと前のサイキックTVとかも、全てのライヴをリリースしていた。20万儲かるんなら月に1枚出していこうみたいな感じだったのだろう。なんか汚い話になったけど、ぼくがこうしてこういうことを面白可笑しく話題にできるのは、彼らの向こうには音楽への愛がちゃんとあると分かっているからだと思う。
ダイナソーJrのグランジ前夜の3枚のアルバムを聴いて古くさく感じないのは、音楽への愛があるからだ。みんながゴミのように扱っていたヘヴィ・メタルからかっこいい部分を見つけ出し、みんながヒッピーとバカにするニール・ヤングの中に胸をうつメロディを見つけ、みんなが「そんな暗いアルバム聴かないよ」と笑う、キュアーやニュー・オーダーの新しい部分を見つけ、それを自分たちのものにしたのがダイナソーJrだった。そして、『Green Mind』や、今Jがやっていることはその拡大再生産だ。ボブ・ディランが自分をコピーするみたいに、ニール・ヤングが永遠にギターを弾き続けるように、Jは爆音の中ギターを弾き続け歌うのだ。それ以上でもそれ以下でもない。でも誰もJのように歌えないし、ギターを鳴らせない。Jはジミヘンのように、ジミー・ペイジのようにジョン・レノンのようにオリジナルな存在になったのだ。久々にフジロックであの爆音に包まれよう、きっと気持ちいいと思う。2枚目と3枚目には、エンハンスド仕様で、当時のプロモ・ビデオを見ることができます。ロウ・ファイでとってもいいですよ。