『NME』『MELODY MARKER』『Rockin' on』『CROSSBEAT』など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、問題児ピーター・ドハーディによるバンド、ベイビーシャンブルズの新作について。
2005年12月7日(水) Babyshambles『Down In Albion』
間違ってました。クロスビートの年間ベスト・アルバムで無難にホワイト・ストライプを選んだのですが、こっちがベスト・アルバムですね。びっくりした。もうジャンキーで、いいアルバムなんて作れないだろうと思って期待してなかったんだけど、ベイビーシャンブルズの『Down In Albion』はマジ凄いです。
今作は3部作構成のコンセント・アルバムになっているそうですが、多分、1曲目から6曲目までが第1部、7曲目から14曲目が第2部、15曲目と16曲目が第3部になっているんじゃないかと思う。日本盤にはボーナストラックが2曲収録されているんだけど、その曲が3部作のアンコールに聴こえる。ピーターは、日本から「オマケつけてよ」と言われて適当につけたんだろうけど、じつにこれがうまくハマっている。やっぱ天才か、ジャンキー独特の鋭さか。ぼくは英語が完璧じゃないし、永遠のパンク文学才女、児島由紀子姉さんの訳を読んでもピートがなにを伝えたいのかよくわからない。
ぼくが適当に推測するに、1部が〈楽しくぶっ飛んで〉いて、2部が〈バッドに〉なって、3部で〈やっぱ君の愛が必要だ〉という感じなのかなと。あるいは1部〈天使のささやき〉、2部〈悪魔のささやき〉、3部〈そこからぬけでた〉という感じか。ただの推測ですが。とにかく凄いのは、2部の出だしで“Killamangiro”を持ってくる所だ。「カゴの中の俺を金を払ってまでみたいか」という内容が2部の展開を一発でわからせる。
でもなんでジャンキーになるんだろう。セックス・ピストルズの映画では、シド・ビシャスがデカダンなロックンロール・ライフに憧れてヘロインに手を出す姿を、シドの親友ジョニー・ロットンが悲しそうに見ているシーンがあった。天才マイルス・デイヴィスでさえジャンキーになった。師匠のチャーリー・パーカーがドツボにハマっていくのを見ていて、ああはならないぞと誓っていたはずのに。
ジャンキーの魅力、ジャンキーになったら、素晴らしい歌が書けるんじゃないかという幻想。でも幻想じゃないんだよ。ディー・ディー・ラモーンの“Chinese Rock”なんて本当に素晴らしい歌詞なんだ。40歳になって、友達が“Chinese Rock”をギターで弾きたいというから、初めて“Chinese Rock”の歌詞を真剣に読んだら感動して泣いてしまった。「ジャンキーがニューヨークのボロボロのアパートで質屋に持っていくものがなくなって、こんなはずじゃなかったのにな」という短い詩なんだけど、その描写の客観性、シンプルさ、ストレートさは、ランボーとかそういう偉大な詩人と比べても遜色がない。
これらの歌詞がシラフだからか、ジャンキーだから書けたのかぼくにはわからない。でもシド・ビシャスはこういう歌詞が書けることを夢見てジャンキーになって死んだのだ。シドが書いた歌詞は“Belsen Was a Gas”などちょっとしかないけど、ぼくはどれも大好きだ。ジョニー・ロットンがシドのことを考えて作った言葉は〈Flowers Of Romance〉だった。美しいじゃないか。
ピートがどうなるのか。ノエル・ギャラガーがいうとおり、日本に来ることはできないだろう。クラック中毒というのはそういうもんだ。ぼくの友達も12時間の飛行機が怖くって日本公演をキャンセルした。1時間くらいなら我慢出来るけど、12時間のフライトをクラックなしでは乗れない。でもそれでもいいじゃないか。オスカー・ワイルドが刑務所の中でも美しかったように、ピートもヨーロッパで素晴らしい歌を書いていけばいい。いつの日かドラッグを止めれる時がくるかもしれない。イギー・ポップやデヴィッド・ボウイのように。
最後に、間違ってると思うけど書いておこう。『Down In Albion』はボブ・ディランの『血の轍(Blood On The Tracks)』に似ていると思う。ピートは一生懸命自分を見ようとしている。そして何とか抜け出そうとしている。このアルバムはそういうアルバムだ。がんばれピーター。