『NME』『MELODY MARKER』『Rockin' on』『CROSSBEAT』など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、齢47にして、表現者としてのモチベーションが全く衰える様子がないマドンナについて。
Madonna 『Confessions On A Dancefloor』
マドンナの歴史というのをかいつまんで書くと、ロック好き少女が当時一番トンガっていたニューヨークのダンス・シーンを自分のものにし、そして歴史的ポップ・アルバム『True Blue』(このアルバムは必聴)を作り、音楽シーンの頂点に立つ。だが、音楽的にはこれ以上の成長はないだろうと、次は映画界の頂点を目指し「Evita」で本格的役者として主演を演じるが、そんな二つの世界で頂点に立てるなんて、世の中は甘くなかった。この辺りがマドンナのバッドな部分だったのじゃないだろうか? ダンサーと子供を作ったりして。
そしてこのままではいけないと、ウイリアム・オービットと作ったのがポップ&斬新が見事に調和したマドンナのもう一つの傑作『Ray Of Light』(これまた必聴)だったのではないだろうか。エレクトリックの魔術師のようなウイリアム・オービットがシンセサイザーではなく、単純なギター・コードで作った曲をループさせ、そこにエレクトリック・サウンドを足して完成された楽曲にマドンナがメロディを載せていくという実に単純な作業(そんなことはないんだろうけど)で作られた曲はどれも素晴らしかった。ブラーも99年のアルバム『13』でウイリアム・オービットにプロデュースを頼んだほどだ。そちらはうまくいかなかったけど。マドンナという女神がいるからこそ輝く手法なのかもしれない。
後の『Music』、『American Life』もミルウェイズなど新しいアーティストが参加していっているが、基本的にはこの手法で作られている。マドンナは音楽的にもまだまだ革新的な事が出来ると証明した。アンダーグラウンドな音楽をマドンナがポップに変身させるという方向もそろそろ煮詰まってきたな、と思っていた所にリリースされたのが『Confessions On A Dancefloor』だ。これも基本的には3部作と言うべき『Ray Of Light』、『Music』、『American Life』と同じ手法で作られている。それをツアー・メンバーのスチュアート・プライスことジャック・ル・コントがうまくまとめた。暗く成りがちだった前述の3部作と違い、『Confessions On A Dancefloor』は原点に帰ろうとするからか、「これがダンスフロアよ!」とでも言わんかのように明るく作られている。
なんて書いたけど、マドンナのオフィシャル・サイトで彼女の歴史を見るとぼくのマドンナ論なんて間違っているなと思う。「Evita」は興行的にも失敗作ではないし、『Ray Of Light』は「Evita」のわずか2年後に作られている。マドンナはロック少女だったかもしれないが、子供の頃から奨学金を貰えるほどダンスに精通していた。U2のドキュメンタリー映画と同じくらい素晴らしい「In Bed With Madonna」の続編「I'm Going To Tell You A Secret」も公開が予定されている。デビュー以来マドンナはずっと変わっていない。ポップな世界で何ができるかということをやり続けている。ジョン・レノンもマイケル・ジャクソンもみんな表現者としての自分に疲れていくのに、マドンナはいつまでも自分を曝け出し、それを作品としてまとめあげていく。まさにシンガー・ソングライター。いつまでそれをやり続けるのだろう、女性だから出来るのか? でもぼくの周りにはそんな元気な女性はいない。草間弥生とかそんなアーティストに近いんだろうな。マドンナも一番尊敬する人にメキシコの女性アーティスト、フリーダ・カーロをあげていたし。
『Confessions On A Dancefloor』は、『Ray Of Light』から『American Life』までの3部作の完成形と言えるし、新しいマドンナの始まりで、これが新しい『True Blue』のようなポップ・アルバムのひな形になるのかもしれない。ただ言えるのは、マドンナのこれからも続くであろう長い歴史の1部でしかないということだ。