『NME』『MELODY MARKER』『Rockin' on』『CROSSBEAT』など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、プロデュースにデイヴ・フリッドマンを迎えてのセカンド・アルバム『Some Loud Thunder』を発表したNYの5人組、クラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤーについて。
CLAP YOUR HANDS SAY YEAH『Some Loud Thunder』
ここ一連のアメリカ産ポスト・アート・ロック・バンドの中ではアーケイド・ファイア(カナダですが、リーダーはアメリカ人だし)が一歩抜きん出た感があるが、このクラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤーのセカンド・アルバム『Some Loud Thunder』も、なかなかの出来なのではないだろうか。前作は本当にインディというか、壁にローラーで書かれた落書きをバンド名にしたというエピソードからもうかがえるチープでザラザラした感じと、だからこそ生まれた、町の人々の空気感を代弁したような感じとがみんなから愛された理由だと思う。そんな彼らの歌声は自分の国だけじゃなく、イギリスにも、言葉が違う日本にも響いた。
前作の1曲目から6曲目までは、なんと全て2つのコードで作られていた。ボー・ディドリーなどは全て1コードなわけだし、そんなことはかっこよければ別に構わないんだけれども、でも普通のレコード会社だったら、デモを聞いた時点で「サビ作りましょうよ」なんて言ったと思う。「君たちの好きなヴェルヴェット・アンダーグラウンドの“I'm Waiting For The Man”だって、ちゃんとコードを4つも使っているでしょ。だからせめてもう一つくらいコード入れようよ」と説得しただろう。もし、そんなやり取りがあったとすれば(完全自主制作だったんだからあるはずないが)、彼らは「そんなことすると普通のポップスになってしまうだろ」と返したに違いない。そんなことに捉われないところがポスト・アート・ロックなんだろう。
アーケイド・ファイアの曲も複雑そうでいて、実はメンバーのウィンが好きだというジョイ・ディヴィジョンやニュー・オーダーと同じように、2つか3つのコードだけで作られている。だからこそ反復しながら壮大な感じで盛り上がり、心が浄化されるかのように癒される。
クラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤーも同じだ。単純なコード進行だから、自由なメロディを作りやすく、そこに自分の思いも込めやすくなる。スピント・バンドなど当てはまらないバンドもあるけども、これがポスト・アート・ロック・バンドの傾向なんじゃないだろうか。たぶん今の世代には、ダンス・ミュージックという自由なフォーマットの音楽がその前からあったから、自然とこういう形が定着したんだと思う。彼らが尊敬するトーキング・ヘッズなどは自由になろうとしていたけど、起承転結のある3分間ポップスのフォーマットにも愛を込めていた。もちろんそういうスタイルをやり尽くして、アフリカン・ミュージックなどの自由なフォーマットを取り入れようとはしたんだけど。
これからこういう新しい音楽がどういう風に発展していくのか、ぼくは分からない。でもイギリスなどではロックのマーケットがぼくたちの想像以上に巨大になっている。それ以前のイギリスの音楽産業の主流だったダンス・ミュージックが10年近く持ったことを考えれば、現在のイギリスのロック・バブルもあと7年くらいは持つだろう。そしてアメリカでもMyspaceなどが大きなファンジン、いや新しいMTVみたいな感じでこれらの新しい音楽を支援していく。かつて、マーキュリー・レヴやヨ・ラ・テンゴなどのバンドが苦戦していた時とは全く時代が違うのだ。彼らは楽に生活、活動していけるだろう。クラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤーは自分たちだけでファースト・アルバムをあんなにたくさん売ったのだ。契約させてくれというレコード会社より完全に立場が上なのだ。こんな時代が彼らにどういう影響を与えていくのか、ぼくは楽しみだ。