NEWS & COLUMN ニュース/記事

第93回 ─ フジロックで数十年ぶりに対峙したフリクションの衝撃

連載
久保憲司のロック千夜一夜
公開
2007/08/09   18:00
テキスト
文/久保 憲司

『NME』『MELODY MARKER』『Rockin' on』『CROSSBEAT』など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、クボケン氏のフジロック雑感。そして、何十年か振りにライヴを目の当たりにしたという国産パンク/ニュー・ウェーヴの最重要バンド、フリクションについて。

 フジロックに行った人、今年はどうでしたか? 楽しみましたか?

〈NME〉のクラブ・ページ担当を経て、〈MUZIK〉というクラブ雑誌を立ち上げた有名編集者がいるんですが、その人のグラストンヴェリー・フェスのレポートが〈一切記憶がございません〉の一行だけで、後は真っ白2ページ(周りに写真くらいはちりばめられてたかな?)という、とんでもないものだったことがあったんです。でも、この一言が、どれだけグラストンヴェリーが楽しかったか、偉大かということを的確に表現していますよね。禁じ手ですが、評論家として一度くらいはやってみたいことです。でも僕にはそんな勇気もないので、今回のフジロックも頑張って撮影の仕事をしてました。

ぼくは今ニューオリンズ・ファンクにハマっているので、リリー・アレンちゃんのステージで、サンプリングとはいえプロフェッサー・ロング・ヘアーやドクター・ジョンの曲が流れたのは嬉しかったです。
 
  リリーちゃんのブロンディ“Heart Of Glass”のカヴァーも感動しました。でもそれ以上に感動したのが、50セント“A Window Shopper”のカヴァー。スラムに住む少年が高級商品を欲しがるという歌なんだと思いますが、フジロックみたいな最高に楽しい所にいるのに、ぼくたちはもっともっと欲しいんだという気持ちを卑しく思いつつ、その「もっともっと」と願う気持ちもロックなんだという、ぼくたち世代のジレンマを、リリーちゃんは見事に歌っていたと思います。

そして、フリクションを何十年ぶりかで見ました。フジロックでフリクションというのは嬉しかった。(中村)達也さんがメンバーに入っているというのも凄く嬉しかった。

  メンバーが2人というのはどうなんだろうと心配だったけど、とってもいいライブだった。レックさんもイギー・ポップを見て興奮していたのか、熱いライブだったような気がする。“Raw Power”をやったのにはびっくり。レックさんは、イギー・ポップに憧れてNYに行ったという話を聞いていたけど、こんなにも素直に自分の感動を表現するとは思っていなかった。ぼくとしてはそのまま“Big-S”とかやって欲しかったな。そうしたら、イギーの曲とレックさんの曲が同レベルなんだというのがよく分かったのに。

ぼくは、子供の頃〈ウォッチ・アウト〉というファンジンに載っていたレックさんのインタビューに感動していたことを思い出した。「もう充電する時は過ぎた。これからは放電していくべきだ」など、ノー・ニューヨーク・ムーヴメントの下地を作ってNYから帰ってきたレックさんのクールで熱い言葉は、ビシバシぼくの胸に響いていたな。30年近く前の言葉を憶えているんだから。

そしてフリクションは名曲“百年”をやった。〈一年、一年経ったら変わる、10年、10年経ったら変わる、100年経ったら変わる。頭の中、頭の中、ジャパニーズ・ピープル〉という、あの時代の日本人に憶えたイラ立ちの歌。パンクという音楽が入ってきたのに、何も変わろうとしない日本人。ファッションだけ変えて、本質を変えようとしない日本人。そんなのを変えるために東京ロッカーズというムーヴメントを起こそうとした、それでも何も変わらない日本人を歌った曲を、いまフジロックで聴くなんて。

  あの頃は新宿ロフトも貸してもらえず、ただのレンタル・スタジオのようなマグネット・スタジオ(今もある。日本のロックの聖地の一つでしょう)でライブをしていた東京ロッカーズ。日本のロックとはそんなものだったのだ。今は何万人もの人が新しい音楽にすぐ夢中になるけど、あの頃は雑誌も何もかも保守的で、全てが敵のように見えていた。そんなことから考えると世の中は変わったような気もするが、でもこうして何十年ぶりかに聴く“百年”は衝撃的だった。マグネット・スタジオで100人くらいで聴いたあの曲を、「そうだ日本人を変えてやるんだ」と聴いたあの曲を、何万人ものロック・ファンがいるフジロックの場でまた聴くとは思わなかった。ぼくたちはこれだけ前進したと言いたいし、何も変わっていないと落ち込みもした。

でもまた30年後に、この曲がどう聞こえるのか楽しみでもある。とにかく、ぼくたちは30年サバイバルしたのだ。