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第96回 ─ ピート・ドハーティに期待してしまう、世界を変えるパワー

連載
久保憲司のロック千夜一夜
公開
2007/09/20   18:00
更新
2007/09/20   20:35
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文/久保 憲司

『NME』『MELODY MARKER』『Rockin' on』『CROSSBEAT』など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、英国きってのスキャンダラスなロック・スター、ピート・ドハーティ率いるベイビーシャンブルズのセカンド・アルバム『Shotter's Nation』について。

  いよいよ出ますね。ベイビーシャンブルズのセカンド『Shotter's Nation』。ベビシャンは休止して、リバティーンズが復活するのかなとぼくは思っていたのですが、ピート、ちゃんと仕事してますね。

この前に出た『The Blinding EP』は自分たちのプロデュースで、クラッシュの『London Calling』っぽいノスタルジックな音作りで上手くまとまっていたから、今作も自分たちでプロデュースするのかなと思っていたら、ステファン・ストリートがプロデュース。レコード会社的にはもっとヒット曲が出る可能性が欲しかったんだろうなと思います。

レコーディングの初めの頃は、ピート、ステファン・ストリートにムカついてゴミ箱蹴飛ばしたりしていたようだけど、「最後にはちゃんと目を向き合って話し合えるようになった」とライナーで語っていて笑った。大人だし、仕事なんだし、目を見て話せよ(笑)。しかし、ジャンキーは凄いよな。何が正しくって、何が間違っているのか分からなくなってくるんだろうな。でもそういう普通じゃないところに、ぼくたちが見逃してしまっている真実を見る力みたいなのが宿るんだとぼくは思う。

  こんなピートと並ぶもう一人の天才詩人、ハッピー・マンデーズのショーン・ライダーの天才ぶりを、先日亡くなったトニー・ウィルソンが名著「24 Hour Party People」で見事に書いていた。自分たちしか知らないはずのエピソードをショーン・ライダーが歌詞にしていて、あのバーに若い頃のショーン・ライダーがいたのか? とトニーが恐怖におののくシーン、かっこいいよな。まさにこれぞ詩人って感じだ。

昔の王様などが側に詩人を置いていたのはそういうことだったんだろうな。「詩人よ、真実をいってくれ、リアルで美しい言葉で」と王様が言うと、「ハッハー、かしこまりました」と詩人は言葉を発するのだ。そしてその言葉はときには世の中を変えるくらいの力もあった。

ぼくたちがロックに求めているのは、そういうことなのではないだろうか。ピートがバカらしい事件を何度起こしても、彼に引きつけられてしまうのは、ピートには世の中を変えてくれるんじゃないか、そんなパワーがあるんじゃないかと期待してしまうからだ。

  ストゥージズなんかも、まさにそんな感じだったんじゃないだろうか。MC5が「革命だ」って叫んでいて、その周りの奴らもドラッグきめて「そうだ」「そうだ」と言ってみんなが楽しく騒いでいる時に、前座のストゥージズは「ノー・ファン」と歌っていたんだから。ニコから「ヨーロッパでは男は女の子のアソコを舐めるのよ」と教えられて衝撃を受けるアメリカの田舎者だったイギー・ポップが、ニコに教えられる何年か前に、ちゃんと「アイ・ウォナ・ビー・ユア・ドッグ」って歌っているんだから。何の教養もなくっても真実を歌う凄さ、そこにぼくはロックを感じる。イギーはちゃんとイリノイ大学行って教養はあるんだけど。

  『Shotter's Nation』を聴くと、ピートもだいぶまともになってきてますよね。リバティーンズは現代的で最先端のロックンロールをやってやるぜというバンド、ベイビーシャンブルズは80年代なニュー・ウェイブ・ロックに、ノスタルジアとリスペクトを込めたくてやっているバンドじゃないかとぼくは思っている。そういう風に、ピートはこのふたつのバンドを両立できると思っていた気がするのだ。だから前作『Down In Albion』の「実はこのアルバム、三部構成に分かれているんだよね」みたいな仰々しい感じよりも、今回みたいな小粋で色んなテイストの曲が12曲入ったアルバムの方がベイビーシャンブルズらしいと思う。

この後リバティーンズの復活はあるのか!? 『The Blinding EP』の、ロンドンの古き良き時代の音楽への愛を込めたあの感じは、リバティーンズの3枚目に持ち越されるのか? 謎が謎を呼ぶけど、とにかく今世界で一番かっこいいアーティストの作品が出たということで良しとしましょう。