『NME』『MELODY MARKER』『Rockin' on』『CROSSBEAT』など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、約4年ぶりの新作『Comicopera』をリリースするカンタベリー・ロックの重鎮、ロバート・ワイアットについて。
共産党なんてそんな好きじゃないけど、でも、かつて共産党員だったロバート・ワイアットに「お前もコミュニストになれよ」と言われていたら、ぼくも年収のいくらかを頑張って納めて、党員になってしまったかもしれない。
それくらい、子供の頃に聴いた“At Last I Am Free”でのロバート・ワイアットの神のような声は衝撃的だった。ディスコ大好き少年だったぼくは、シックのカヴァーというのにもやられた。しかもシックのテンポ落とし目の曲を、ほとんど原曲と同じ感じでカヴァーしているのが「オーッ」だった。
しかもいま聴くと、ラリー・レヴァンが一番最後か、フロアーが頂点の時にポッとかけそうな、これぞディスコの本当の精神だ、みたいな曲で笑っちゃう。ロバート・ワイアット、車いすでパラダイス・ガラージ行ってないよな。
ディスコの音楽はクズでプログレは高尚、なんて、一昔前の評論家みたいに思われたくないからあまり言いたくないんだけど、でもロバート・ワイアットのヴァージョンには神か何かが乗り移っているような魔力がある。初めて聴いてから27年近く経つのに、いまだにこの曲を聴くと、心の中に何かが生まれそうな奇妙な気持ちをぼくに与えてくれる。ビートルズが初めてラジオから流れてきた時、全てが変わったんだ、みたいなことをぼくよりも前の世代の人はよく言うけど、ニュー・ウェイヴ世代のぼくにとっては、この“At Last I Am Free”のシングルが、まさにそんな変化をもたらしてくれた音楽だった。
いま思うと初めてゴスペルを聴いたというか、ゴスペルやブルースという音楽が何を訴えようとしているのかを理解したということだったんだろうけど、ゴスペルもブルースもジャズも、もっと言えばロックンロールもよく分かっていなかったガキに、このシングルは衝撃だった。セックスのセの字も知らなかったのに突然セックスしてしまったかのような、「なんじゃこりゃ」という感じだったのだ。
この曲を出した頃のラフ・トレードはシングルに力を入れていて、ポップ・グループとスリッツのカップリング・シングルや、スクリッティ・ポリッティ、デルタ5、レインコーツ、そしてちょっと落ちるけどTVパーソナリティーズなどなど、凄いシングルをどんどん出していた。最初に1万円とかお金を払えば、毎月シングルを一枚送ってくれるというシリーズも、この頃に始めていたような気がする。
こういうシリーズは海外では当たり前みたいで、アメリカではメジャーのレコード会社も普通によくやっていたみたいだ。ぼくよりすこし年上のミュージシャンたちにインタビューすると「どんなレコードが来るのか、毎月楽しみにしていたんだ」みたいなことをよく語っていた。インディーズの場合は最初になんとか資本を集めて、そのお金がある間にヒット曲を出そうという考えだったんだと思うけど。
ロバート・ワイアットに話を戻そう。彼の4年振りの新作『Comicopera』はその名の通り、3幕から成る〈オペラ〉で、ワイアットは「このアルバムは思いも寄らない日常のハプニングをテーマにしている。カオスのような私達の人生とか、日頃頼っている人々や物事とかをね。面白いこと、刺激的なこと、意味のあること、それを探し求めるのが人生なんだ」と言っている。
だが、第2幕終了間際にいきなり爆撃が始まって、このオペラはイラク戦争と関係しているのかなと思う。なぜ突然、彼がオペラ形式のアルバムを出すのか。ぼくは、ニール・ヤングの『Greendale』に対するワイアットなりの答えなのかなという気がする。意味のない戦争が永遠と続いている中、アメリカの小さな町でのTVのソープ・オペラのような世界に逃げ込んだかのような、ぼくたちはぼくたちの周りで起こっていることしか分かりませんよ、と言っているかのようなアルバムに対しての。
ロバート・ワイアットも、今の戦争に対して声高々に〈こうするべきだ〉とは言っていない。爆撃後に始まる第3幕から、ワイアットはイタリア語とスペイン語で歌う。彼はこう語っている。「爆撃の後――それから先はアングロ・サクソンな文化と完全に決別した雰囲気を出したかった。この馬鹿げた戦争の戒めとして、英語を話す者として口をつぐんでおこうと思ったんだ。最後に英語で歌ったのは〈君はその永遠に消え失せることのない憎しみをぼくの心に植え付けていったね〉という歌詞だった」。
何を歌っているのか、ぼくには全然理解できなかったが、ロバート・ワイアットの声が始まると涙がこみ上げてきた。ロバート・ワイアットの音楽の力だ。何十年経っても変わらない、音楽で何かを変えられると思っている人の力だ。