「NME」「MELODY MARKER」「Rockin' on」「CROSSBEAT」など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、CDリリースに先駆けてのダウンロード販売でも話題を集めたレディオヘッドのニュー・アルバム『In Rainbows』について。
パンクの歴史を当事者の証言だけでよみがえらせたレッグス・マクニール(世界で一番最初のパンク・ファンジン「パンク」を作った人)の「プリーズ・キル・ミー」がとても良い本でびっくりした。アメリカン・ロック至上主義のレッグスのことをぼくはあんまり好きじゃなかったんだけど、いやー、この本には感動した。
パンク史なのに、さすがレッグスという感じで、ほとんどアメリカ人の証言だけで構成されている。イギリス人の証言はマルコム・マクラーレンくらい。でもそれでパンクの始まりがすべて語られてしまうんだから、凄い。
チャック・ベリーもバディ・ホリーもジーン・ヴィンセントもエルビスもエディ・コクランも全部アメリカ人なんだ、イギリスのロックなんて、みんなそれらを薄めたもんだ、ロックンロールはアメリカのものだ、というレッグスの強い主張。この本を読むと、それを認めたくなってしまう。ロックンロールという音楽を作ったアメリカ人の精神に少しでも触れてみたくなる。
この本で面白いと思ったのは、ストゥージズやラモーンズと契約したエレクトラ社のダニー・フィールズなど、裏方さんにゲイが多いことだった。何となくそうかなとは思っていたんだけど、こういう人たちの頑張りがなければロックは存続しなかったのだろう。イギー・ポップも「俺のレコードなんて、スーパーの片隅で99セントで売られていたんだ。誰も俺のことなんて気にもとめてくれてなかった」と語っているように。
ぼくの子供の頃は、その99セントのレコードが日本に流れついて、外盤屋のエサ箱でずっと500円で売られていたもんな。だからイギー&ザ・ストゥージズの『Low Power』や ヴェルヴェッツの『Live At Max's Kansas City』を、ずっととんでもないクズ・レコードなんだろうと思っていた。こういうことがミュージシャンとレコード会社のビジネスとの軋轢を生むんだろうな。売れないんだから仕方がないんだけどさ。
そういう軋轢の果てに、レッド・ツェッペリンは30年以上前、「俺たちが客を集めているのに、なんで入場料をライヴ・ハウスと折半しないといけないんだ。俺たちが9割で、お前らは1割でいい」というようなことを言った。
レディオヘッドがニュー・アルバム『In Rainbows』を、まずダウンロードで発表したのも、それと同じようなことなんだと思う。
レディオヘッドは前作『Hail To The Thief』を出してからの4年間、戦ってきたんだと思う。その答えが『In Rainbows』なんだろう。なぜCDリリースだけではなく、ただでダウンロードもできるのか? 何故レコード会社と契約しないのか? そこには色々な答えがあるだろう。でも答えは重要じゃない。彼らが色々と考えたことが『In Rainbows』に反映されているということが重要なのだ。
4年間もレコード契約のなかったレディオヘッドが届けてくれた『In Rainbows』は、ぼくには信じられないくらいパーソナルな響きに満ちあふれている。ジョン・レノンがボブ・ディランから「君たちの音楽には主張が感じられない」と言われてショックを受け、どんどん自己を出そうと、パーソナルになっていったように。パーソナルな音とはなんなのかを上手く説明するのは難しいけど、でもぼくはそう感じるのだ。
そして、そんなパーソナルな『In Rainbows』を自分のオーディオに入れて、レディオヘッドの音楽が流れてきた瞬間、ぼくは「あー、これは芸術なんだ」と思ったのだ。
『Hail To The Thief』を経ての新作は、〈『OK Computer』を初期の作品のような感じでやったライヴ感あふれるアルバム〉と噂されていた。でも実際に届けられた『In Rainbows』は、『OK Computer』に漂っていた不安感を脱ぎ払い、『Kid A』の邪悪なダーク感を捨て去った清々しいアルバムだと思っている。正直な気持ち、『Kid A』や『Hail To The Thief』は『OK Computer』を超えられてなかったが、『In Rainbows』は『OK Computer』よりも前進できたアルバムだと思うのだ。一方で、この作品によって『Amnesiac』の偉大さをあらためて実感したような気もしている。
でも一番の正直な気持ちは、やっぱり、神様が突然現れて「これが芸術なんですよ」と言っているのを、震えながら見ているという感じなんだよな。