「NME」「MELODY MARKER」「Rockin' on」「CROSSBEAT」など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、元ペイヴメントのスティーヴン・マルクマスが、自身のバンド、ジックスを率いて放つニュー・アルバム『Real Emotional Trash』について。
どのバンドだったか忘れてしまったのだが、「とにかくペイヴメントみたいになりたくて、バンドを始めた」と言っていたバンドがいて、分かるなと思った。そのバンドは、ぼくより一回りも若かったけど、解散から10年近く経ったったいまも、ペイヴメントの衝撃は伝わっているんだなと思った。
ペイヴメントはローファイとか言われるけど、彼らの壊れた感じというのは、ニルヴァーナにも通じる「何でそっちに行くの」という変なコード進行から来ているんだと思う。そのルーツを辿ると、ピクシーズやハスカー・ドゥまでさかのぼれると思うんだけど、ペイヴメントの一番の凄さって、その壊れた感じのリアルさ、アメリカ郊外の何もない空虚さというか、日本にいても何となく伝わってくるアメリカの狂気みたいなものを、音で初めて実感させることができたところにあるんだと思う。
ルー・リードの歌やカート・コバーンの叫びには物語性というか、これは小説なんだ、みたい部分があったけど、ペイヴメントの音にはアメリカの虚無感というか、日本も同じように抱えている、いまの時代の何もできない空しさみたいなものがあった。それが衝撃だったんだろうな。アーケイド・ファイアやブロークン・ソーシャル・シーンなんかが好きな若いバンドが、ペイヴメントも好きって言っているのがよく分かる。
でも、ペイヴメントを解散してからのスティーヴン・マルクマスは、ルー・リードのような物語的な歌になっていたんじゃないかと思う。英語がよく分からないんで、正確なところは分からないんだけど。元々ドライな人だし、その歌は凄くスティーヴン・マルクマスに合っていた。
このまま淡々とルー・リードのように歌っていくのかなと思っていたら、今作『Real Emotional Trash』では、何と60年代の埋もれてしまったハード・ロックやプログレッシヴ・ロック、そのまま〈リアル・エモーショナル・トラッシュ〉と呼べるような音楽を見事に自分たちの音にしている。それがかっちょいいのである。完全にマーズ・ヴォルタの裏をやっているという感じである。
ぼくはこの辺のハード・ロックやプログレに弱いので、元ネタがなんなのかは全然分からないけど、ロバート・プラントに「上手いシンガーだ」と言われるテリー・リードとか、その辺の感じなんだろうか。デヴィッド・ボウイも初期の頃は、こんな変なプログレというかハード・ロックをやっていたよな。『Space Oddity』の“Cygnet Committee”なんて曲は、結構名曲で面白いので聴いてみてください。というか、ボウイの『The Rise And Fall Of Ziggy Stardust And The Spiders From Mars』までのアルバムって大体こんな曲が1、2曲入っている。
この辺の時期のアーティストって、結構こんな感じの音楽をやってたんですかね。リスナーも、トルコ絨毯みたいなカーペットにみんなで輪になって座って、お香を焚きながらマリファナ吸って、目を閉じて、頭揺らしながら聴いていたんですからね。アーティストたち当人は精一杯エモーショナルにやっていたんだろうけど、そんな時代だったのだ。ロックも腐っていくよな。そんなだから、みんな化粧して、踊ろうぜとグラムになったり、髪を立ててパンクになって行ったんだけど。でも、そういう変遷のなかで埋もれた音楽の本当の魅力を伝えようとするのが、このアルバムなのではないでしょうか。「MOJO」や「UNCUT」辺りの音楽誌は大絶賛するだろうけど、いまの時代にこのアルバムがどう評価されるか分かりません。でもおもしろいアルバムだなと思う。かっこいいし。