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第115回 ─ 日本独自のダンス・カルチャーを生んだクラブ、YELLOWの閉店

連載
久保憲司のロック千夜一夜
公開
2008/06/19   18:00
テキスト
文/久保 憲司

「NME」「MELODY MARKER」「Rockin' on」「CROSSBEAT」など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、6月21日をもって閉店することになった日本を代表する老舗クラブ、YELLOWについて。

  91年12月12日にオープンしたクラブ、YELLOWが、今週の6月21日で閉店する。最後の週のラインナップは凄まじい。月曜日がU.F.O.や大沢伸一さんなど、火曜日がデリック・メイ、水曜日がダニー・クリヴィット、木曜日が田中フミヤ、金曜日がローラン・ガルニエ、そして最後にフランソワ・ケヴォーキアン。火曜日だろうが木曜日だろうが、踊りたい時に踊るんだという感じがYELLOWらしい。YELLOWは、そうやって平日でも遊ぶ世代にとって最後のクラブだったような気がする。

  いまの外国人DJブームが始まって、クラブは週末だけが盛り上がるイヴェントのような感じになってしまったけど(そのブームのやりだしっぺのぼくが言うのもなんだが)、YELLOWには昔のクラブの匂いがいつまでもしていた。名曲“Last Night A DJ Saved My Life”な感じ。YELLOWに行けば、何か救われるような気がした。たとえ一人でも、YELLOWに行けば、いつも同じように音楽を愛する人たちがいるかもしれないと思えるクラブだった。YELLOWはぼくらのシェルターだった。

WOMBやageHa、airなど、東京には、日本には、まだまだいいクラブがたくさんある。でもYELLOWの終焉をたくさんの人が嘆き悲しんでいるのは、GOLDやP.PICASSO、もっとさかのぼってムゲンといった、日本のクラブ~ディスコに脈々と流れていたものが、これで途絶えてしまう気がしているからだろう。そして、外国のDJたちが「YELLOW最高!」という理由も、たぶんその辺にあるんじゃないかと思う。YELLOWには、海外のクラブにはないある種独特の音楽やクラブへの愛、海外のシーンへのリスペクト、クラブ・シーンを作らないといけないというスタッフの強い意気込みがあった。だからこそYELLOWは愛されたのだろう。
 
そして、こうした素晴らしい文化が、風営法や外部からの圧力によって変わっていってしまうような雰囲気があることも、いまのクラブ・シーンに寂しい空気を投げかけているように思う。

  エクスプレス2のアシュレイ・ビードルが「本当に素晴らしい音楽は夜に生まれるんだよ。みんなが寝静まった頃。ジャズもブルースもそうして生まれてきた」と言っていたことを、ぼくたちはよく理解している。近所迷惑にならなければ、いつまでもいつまでも踊っていたい、音楽を聴いていたいと思う。それは決して違法なことではないと思う。

2年前のこの連載でMANIAC LOVEのことについて書いた時、ぼくは未成年がクラブに行けないことは仕方がないと思っていた。でも、いまクラブが昔ほど盛り上がらないのを見ていると、それは未成年がクラブにいないことに理由がある気がする。やっぱり、20歳というだいぶ歳をとってしまった(失礼)時にクラブを初体験するのと、15歳でヤバいよね、と思いながらクラブのドアを開けるのとでは、後のクラブや音楽に対する思いがかなり違ってくるんじゃないだろうか。

こういうクラブが抱えた問題と戦うことも出来るんだろう。でもぼくは20歳を過ぎてからクラブに行くようになった世代が、これからどういうシーンを作っていくのかも楽しみなのだ。YELLOWのスタッフがまた、新しい場所を探して、新しいYELLOWを作った時にどんな風になっていくのかが楽しみなように。

歴史なんて結局、後から「そうだったんだ」と思うだけなのだ。懐かしんでも仕方がない。自分が歴史の一部になりたいんだったら、新しい歴史を作っていくしかない。WOMBもageHaも、そうした新しい流れのなかにある。

YELLOWのお酒は世界中のクラブのなかで一番美味しいと思っていました。新しいYELLOWができて、そこでもまた、おいしいお酒が飲めることを期待しています。