「NME」「MELODY MARKER」「Rockin' on」「CROSSBEAT」など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、フロリダ州出身の5人組インディー・ロック・バンド、ブラック・キッズと、ロバート・スミス率いる英国のカリスマ・バンド、キュアーについて。
ブラック・キッズは切ないラヴソング(歌詞をちゃんと読んでないので確実にそうなのかどうか分かりませんが)を歌いながら、むっちゃ弾けてるようで、どこか切ない。
ゴシップとかにも通じる胸キュンなポップスなんですが、このブラック・キッズのヴォーカル/ギターのレジーもやっぱりゲイなんでしょうか(違ってたらごめんなさい)。あの表情で、ドラッグ・クイーンのような巨体で、フィリピン系の黒人で、そしてこの音楽。頑張れと応援したくなります。
ブラック・キッズやゴシップなどのいまのバンドは、MTV世代と騒がれた80年代のイギリスの音楽に影響されているけど、それらの音楽って、パンク/ポスト・パンクに感化されて、自分も意見を言っていいんだという勇気を持った人たちが始めたものだった。そのなかでも一番勇気を得たのが、ゲイなどのマイノリティーの人たちだったんじゃないだろうか。あの頃の音楽には、マイノリティーでもいいんだよ、というメッセージが隠されていたんだと、ぼくはいまでも感じる。ゴシップのベス嬢やブラック・キッズのレジーなどは、アメリカの田舎町でそういうメッセージを受けて、勇気をもらっていたんだろうなと思うのだ。
スミスや、ブラック・キッズにも多大な影響を与えているキュアーはゲイだったわけではないけど、パンクを通過したフェミニズムの思想を持っていたから、ゲイの人たちにも共感されていたんだと思う。特にキュアーの切ないラヴソングは、ロキシー・ミュージック~ブライアン・フェリーの女々しい失恋ラヴソングと似ているようで全然違う。ロキシー・ミュージックにはやっぱり70年代的なマッチョイズムがある。自分はバイセクシュアルだと公言したデヴィッド・ボウイも同じだと思う。でもキュアーのラヴ・ソングにはそういうマッチョなものがない。それは、ブラック・キッズなどの新世代の人たちの歌も同じだ。フェミニズム的な、自分よりも他人を思いやる感じが伝わってくるのです。
ぼくの友達がキュアーの追っかけで、バンドのツアー・バスとかによく乗せてもらっていたんですけど、キュアーのロバート・スミスって、絶対グルーピーに手を出さないんだそうです。というか、メンバーからクルーまでに、そういうことをすると即座にクビという鉄のルールを発していたのです。なんでそんなルールを作ったんだろうと25年近く前は思っていたんですけど、いま思うにあれはフェミニズムだったんでしょう。でも不思議なのはいつロバート・スミスがフェミニストになったかですよね。
初期のキュアーは、お笑いのよゐこもびっくりのシュールな感じだったのが(ぼくはワイヤーよりもクールでシュールなこの時期のキュアーが好きです)、それがジョイ・ディヴィジョン的なダークな世界に入って行き、究極のダーク・アルバム『Pornography』を完成させた。
これでキュアーは終わってしまったと思っていたら、ロバート・スミスはスージー&ザ・バンシーズに加入して、ふたつのバンドを掛け持ちして活動していった。その後のキュアーは吹っ切れたかのようにポップな方向に進み、傑作『Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me』をリリースする。この時期のキュアーの感じをブラック・キッズは上手く取り入れてますよね。
一方でスージー&ザ・バンシーズも、2作目に『Join Hands』(このアルバムこそ本当の意味でのポスト・パンクであり、ゴスのルーツである傑作だと思います)という、これでもかというほどに暗いアルバムを作っているんですけど、その後「こんなの売れない」と売れる音楽を考え出すんですよね。そして彼らは方向転換して行く。
そうやって身近なバンドがロック・ビジネスに折り合いをつける姿を見ていたからこそ、ロバート・スミスが突然ぶち壊れたようなポップな方向へと変わって行ったんじゃないかと、大人になったいまは思うのです。
その時のロバートのグラグラした戸惑い、そのグラグラを支えてくれるものとして、彼はパンクを通過したフェミニズムを自分の歌詞の中心に据えたんじゃないだろうか。それがブラック・キッズなどのいまのバンドに多大な影響を与えているんだと思う。25年くらい経っても、音楽も思想も死なないんだ。こうしていまも若い子たちに共感を与える音楽があり、それらの音楽を前進させようという子供たちが生まれるのは本当に凄いなと思う。