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第125回 ─ 「ジャップ・ロック・サンプラー」が伝えるもの、そしてロス・キャンペシーノス!

連載
久保憲司のロック千夜一夜
公開
2008/11/06   13:00
更新
2008/11/06   21:15
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文/久保 憲司

「NME」「MELODY MARKER」「Rockin' on」「CROSSBEAT」など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、ジュリアン・コープが日本のロック史について綴った書籍「ジャップ・ロック・サンプラー」と、ロス・キャンペシーノス!の新作『We Are Beautiful, We Are Doomed』について。

  ジュリアン・コープが日本のロック史を批評してくれた名著「ジャップ・ロック・サンプラー」、間違いが多いとむちゃくちゃ批判されているみたいですね。ぼくはまだ洋書でしか読んでなくて、どれくらい間違っているのか全然分かんないんですけど、ぼく的にはあの本って〈戦後、日本人がどのようにして独自の音楽を模索してきたか〉というサブ・タイトル通りのことを解説してくれているなと思うんですが、どうでしょう。

いまの人には全然分からないのかもしれませんが、東京ロッカーズが出てきた頃、ぼくがバンドをやりたいと思った時には、まだそんな〈独自の音楽を模索しよう〉という空気が残っていました。ジュリアンは、あの頃のぼくたちの気持を見事に書いてくれてるなと思うのです。

  パンクというものが海外で起こり、それにリンクした東京ロッカーズというムーヴメントがあって、FRICTIONのレックさんやチコヒゲさんなんかはNYパンクにまでアンチを叫んだノーウェイヴ・シーンの周辺にいて。FRICTIONが帰国した時の「もう充電する時は済んだ、発信するんだ」という発言に、俺たちも独自のことをしないとだめなんだと燃えていた、あの頃。 グンジョーガクレヨンや突然段ボールなど、日本人にしか生みだせないような音楽がどんどん生まれていたあの頃の熱気。それが、あの本を読んでいると甦ってきて、ぼくはオーッと思ったんです。

その気持ちは何なのかをジュリアンは上手く解説してくれているんです。それはアンチ・ブルース、アンチ西洋の音楽ということなのです。ジュリアンがもうひとつ興味を示し、「Krautrocksampler」という本にまとめたドイツのロック=クラウト・ロックにもそれが言えるんだと思います。この二つの国の音楽に共通しているのは、敗戦国の音楽ということなんです。いまの世の中の勝者から悪とされた国。だから、これらの国の音楽は西洋的なものをやることに対して、罪悪感や何らかの拒否反応を示し、ああいう音楽を生んだのだという。もうひとつの敗戦国であるイタリアはどうなのかと言えば、イタリアン・リアリズムの映画を見たら分かるように、ぼくたちは本当は悪い人間なんじゃないよ、ぼくらの本当の姿はこんなに美しい心を持っているんだよと、とにかく謝り、もう一度既存の世界に入ることを願ってるんじゃないかと思うんです。

  この理論で行くと、なぜアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンがああしたノイズを出したのかも分かるんですよね。ノイバウテンのブリクサもインタビューで「ぼくたちの音楽というのはイントロ、歌、コーラスといったアメリカ的な音楽じゃなく、戦前のドイツ音楽みたいなものだ」と語っていたりするんですよね。

こうして考えていくと、ジュリアンが他の本でイギリスのケルトなどのキリスト教以前の文化に興味を持つのも、同じ理由だというのが分かると思います。ジュリアンが興味があるのは敗者の音楽なんです。そうした文化を解き明かしていくと、自分たちが一体何に支配されているのかというのが見えてくるんだと思います。それが何なのかというのを、ジュリアンはこうした本によって、ぼくたちに教えようとしているんです。

  ザ・フーのピート・タウンゼントも同じことを考えているんですよね。『Tommy』の次のロック・オペラとなるはずだった〈Lifehouse〉もこうしたテーマを描こうとしていました。ピートはこう言います。「あの第二次世界大戦が一体何だったのか、ぼくたちは本当のことを知らない。戦争が終わったという事実しかぼくたちは知らされていないんだ。あの戦争の後、何が変わって、何が本当に良くなったのか、だれも上手く説明が出来ない」。

こうして考えていくと、U2のボノらが力を注ぐ〈LIVE 8〉の意味が分かる。世界のリーダーが集まるG8が決して世界を良くするために集まっているんじゃなくて、自分たちの利権を守るために会合しているんじゃないかということが分かる。G8の時などに反対するアナーキーな人たちを見て、ぼくは「おいおい、世界のトップ・クラスの人たちが集まる会合に(きっと彼らはぼくたちの為になることを考えてくれているのに)、抗議して一体何になるんだい」と思っていたけど、いまは彼らの主張が正しいような気がする。

  こうした悪い連鎖をどう断ち切っていけばいいのかはよく分かりませんけど、ぼくはロス・キャンペシーノス!みたいな若い人の音楽を聴くんです。スペイン語で〈農民〉という意味を持つバンド名。それに別に意味はなく、発音がいい感じだったから選んだというけど、ぼくがいままでグダグダと書いてきたこともちゃんと理解してくれる同士のようなバンドだというのが分かる。本当に自由奔放にやっている感じがたまらない。今回の新作『We Are Beautiful, We Are Doomed』も、EPを作ろうとしていたら、どんどん曲が出来上がってアルバムになった。クラスとか、あの時期のアナーキーなバンドの定番だった男と女のダブル・ヴォーカルがとっても気持ちいい。クラスとかが背負っていた暗さが一切ないのもいい。ライオット・ガールなんかのシーンにも影響を受けているけど、それらが流行った頃よりもカラッとした感じでやっているのがかっこいい。

  音的にはダイナソーJrやボブ・モールドのような、聴いているだけで何か胸が切なくなるリード・ギターが延々と鳴っているところが好きだったんだけど、本作ではそのギターが抑え気味で、キーボードとヴァイオリンが曲のアクセントとなっている。それはちょっと残念なんだけど、自由奔放なようでちゃんと考えているんだなと思って嬉しくなる。若さはいつまでもないかもしれないけど、いつまでもこのままで弾けていって欲しい。