「NME」「MELODY MARKER」「Rockin' on」「CROSSBEAT」など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、ブライアン・イーノとデヴィッド・バーンの27年振りとなる共作アルバム『Everything That Happens Will Happen Today』について。
この連載で何度も書いているかもしれないが、ぼくがアーティストとして一番尊敬し、憧れているのはブライアン・イーノである。一番好きなアルバムも、ブライン・イーノのソロ『Here Come The Warm Jets』『Taking Tiger Mountain』『Another Green World』『Before And After Science』だし、一番かっこいいと思っているバンドも、イーノが在籍していた1枚目と2枚目のアルバムの時期のロキシー・ミュージックである。エコバニ・ファンだったぼくはU2が大嫌いなんだけど、ブライアン・イーノがプロデュースした『The Unforgettable Fire』は本当に凄いアルバムだと思っている。イーノがプロデュースしたコールドプレイも、買いたいなといつも思っている。
『Before And After Science』以来、28年振りの歌ものソロ作品(ジョン・ケールとの『Wrong Way Up』でも復活してましたが、それを含めても15年振り)『Another Day On Earth』には、元セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズが参加していた。天才ギタリストなのに、みんなからバカにされまくっていたスティーブ・ジョーンズの本当の賢さを知っているのは、イーノくらいなのだ。
一番好きなアート作品も、イーノのビデオ・インスタレーションだ。ビデオ・カメラでテレビを写して、映像のフィードバックを起こさせるというシンプルなものだったけど、いまから考えると、あれは新しいサイケというか、イーノ自身が言っていたようにジミヘンのようだった。テレビのモニターを縦にして使っているのがオシャレだったんだよな。イーノのことを考えると話は尽きない。
そして今回の相方、元トーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンも大好きなアーティストなんだけど、デヴィッド・バーンのことまで話しだすと大変なことになるので、好き自慢はこの辺にして、デヴィッド・バーンとイーノの久々のコラボレーション・アルバム『Everything That Happens Will Happen Today』の話にいきたい。
ぼくが思うに、イーノがある意味音楽的に頂点を極めたのが、デヴィッド・バーンとの81年のアルバム『My Life In The Bush Of Ghosts』だったんじゃないかと思う。いま聴き直すと、これがダンス・ミュージックの最先端を行くリカルド・ヴィラロボスもびっくりの、エッジーな音楽でびっくりする。リカルド・ヴィラロボスを超える最先端の音楽を作るには、ここから出発するのが一番いいんじゃないかなと思う。当時は、イーノがプロデュースしたトーキング・ヘッズの名盤『Remain In Light』の録音中のお遊び的な作品と思ったりしていたんですけど、凄いですね。『Remain In Light』はファンクとワールド・ミュージックを取り入れながら、自分たち(白人)のビートを探そうとしていたけど、このアルバムは、その思いを何歩も前進させている感じがする。インダストリアルでヘヴィーだけど、躍動感にあふれている。コンピューターの集積回路をぐっと近寄って見ると、それはジャングルの原生林にも似ている、みたいな。
そんなアルバムから27年振りの『Everything That Happens Will Happen Today』は、『Remain In Light』の続編として作られたわけではなく、ブライアン・イーノが「インストゥルメンタルな曲がたくさん出来ている」とデヴィッド・バーンに話し、「だったらぼくがそれに歌を入れようか」と応えたという軽い気持ちからスタートしているらしい。
でも、ぼく的には何か続編のように感じる。デヴィッド・バーンが『Remain In Light』以降、ニューオーリンズやブラジルなどの音楽的探求の旅と並行して、歌い続けていたもの――たとえば、映画「True Stories」なんかで謳歌していた〈ぼくたちアメリカ人(人類すべてとも言える)は変だけど、けっして悪い人間じゃないんだよ〉という歌の続きに聴こえる。デヴィッド・バーンがソロになってからは、その思いが弱くなっていたような気がしたんだけど、またトーキング・ヘッズ以来の力強い感じで帰ってきた。
3曲目の“My Big Nurse”なんか、レッチリの新曲みたいで笑ったけど。ゴスペルなどの古い音楽がベースになっているのかもしれないが、トーキング・ヘッズの時と同じように新しい音楽に聴こえる。それはデヴィッド・バーンが語っているように「ほとんどの曲の土台となったのは、ハーモニーを多様し通俗的になる前の伝統的なフォーク、カントリー、もしくはゴスペルの曲と同じもの。(しかし)ブライアンが選ぶコード進行は自分が選ぶものとはほど遠いもので、それによって私は新しい方向に押され、馴染みないものと向き合うことになった」ということなのかもしれない。
このアルバムを聴いていてぼくが思うのは〈毎朝起きて世界中の人が平和でありますように願う〉とか、そんなシンプルでポジティヴなことばかりだ。こんなことを願って何になるのか分からないけど、願いごとは叶うというし、ぼくはこうしたことを毎日願おうと、このアルバムを聴いて思うのだ。
デヴィッド・バーンとブライアン・イーノが何十年も音楽をやっているのは、〈なぜ音楽があり、人はそれを歌い、聴くのだろう〉ということをずっと探しもとめているからだ。それが彼らをアフリカン・ミュージックに向かわせたり、アンビエント・ミュージックを作らせたりしたわけである。そんな二人が久しぶりに出会い、共同作業して作り上げた音楽が『Everything That Happens Will Happen Today』なのだ。
それはいまの腐った世の中への癒しなのだ、みたいなしょうもないことは、ぼくは書かないよ。音楽に癒し効果はあるだろうけど、社会を変える力はないだろう。でも、音楽を聴いて、平和を願った人が社会に働きかけるきっかけにはなるだろう。彼らがしたいのはそういうことじゃないんだよ。〈音楽って、言葉(歌)って一体なんだ〉というシンプルな問いかけをずっとしているだけなんだと思う。そのシンプルさが、ぼくたちの心に響くのだ。