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第128回 ─ 神秘主義を超えたところで世界と対峙した23スキドゥー

連載
久保憲司のロック千夜一夜
公開
2008/12/18   12:00
更新
2008/12/18   18:43
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文/久保 憲司

 「NME」「MELODY MARKER」「Rockin' on」「CROSSBEAT」など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、初期4作が再発されたポスト・パンク・バンド、23スキドゥーについて。

  23は不吉な数字というのをみなさん知っていますか? ウィリアム・バロウズが言い出した妄想なんですけど。666は悪魔の数字なんてことも言われてますけど、こういう神秘主義めいた話っておもしろいですよね。ジーズ・ニュー・ピューリタンズや、クラクソンズみたいな最近のバンドも、そういうことを歌っています。ぼくもスロッビング・グリッスルが大好きで、そういうのにハマってました。スロッビング・グリッスルが解散して、サイキックTVになった時は、次は宗教かと感動してました。サイキックTVを始めるにあたり、中心人物のジェネシス・P・オリッジは、テンプル・オブ・サイキック・ユースという軍団を作ったんです。ぼくも入ろうと思ったのですが、メンバーになるためには体液とか髪の毛を送らないといけなかったので、気持ち悪いし、めんどくさいから止めました。まあ、ただのメーリング・アートの一つなんですけど、ほとんどオカルト宗教ですよね(笑)。

  こういう神秘主義って、ポスト・パンク時代には多かったのです。元ビッグ・イン・ジャパンで、後にKLFを作るビル・ドラモンドがエコー&ザ・バニーメンのマネージャーをしている時、リバプールのマシュー・ストリートでスタートして、アイスランドで終わるという凄いツアーを企画したんですが、それも、このツアーの行程が〈レイライン〉と呼ばれる、何やらパワーがある道筋とされているからで、絶対その通りにライヴをやれば成功するだろうという無茶な発想でやっていたんですよね。本当にメンバーは可哀想だよな、そんなのに付き合わされて。ぼくもその頃イギリスに住んでいたので、「エコバニをアイスランドで見られるなんて凄い、たぶんお客も少ないし、絶対楽しいぞ」と、そのツアーに行きかけていたんですが、本当に行かなくてよかったと思います。でも、いまは少し、このレイラインとかを辿る旅をしようかなと思っているんですけど。

  ビル・ドラモンドが言うには、このレイラインはニュー・ギニアにも繋がっているらしく、今回リイシューされた23スキドゥーの名盤『Seven Songs』にも“The Gospel Comes To New Guinea”って曲があります。『Seven Songs』は本当に名盤です。ホワイト・ファンク、アジアン・ファンクの傑作だと思います。彼らがなぜこんなことを出来たのか、ぼくは不思議で不思議で仕方がありません。この頃のライヴは本当にかっこよかったみたいです。ベトコンのようなゲリラの格好をして、ヘタクソだけど、彼らにしか出来ないファンクをぶちかますのです。スロッビング・グリッスルを完全に越えていたんじゃないかと思います。そして、彼らの思いがアジアにまで行っていたのが、ぼくにはグッとくるんですよね。

  ぼくが23スキドゥーを初めて見たのは、セカンド『The Culling Is Coming』に入っている82年の〈ウォーマッド〉(ワールド・ミュージックのフェス)でのライヴで、後のカレント93のチベッド93が参加していて、尺八みたいな楽器や、ホースを吹いたりして、完全にインダストリアルなワールド・ミュージックになっていました。あと、このアルバムの再発盤にボーナス・トラックとして収録されているライヴも、ロンドンのICAで観ました。ステージの四隅に、テープ・レコーダーの録音と再生のヘッドが4つ置かれ、そこでテープが延々と録音と再生をループしていくというパフォーマンス。

  23スキドゥーは、その後、3枚目の『Urban Gamelan』をリリースするのに先駆けて、後にケミカル・ブラザーズがサンプリングする12インチ・シングルの名曲“Coup”をリリースしました。これを聴いて、ファンクが戻ってきたと喜んたぼくはライヴを見にいったんですけど、その時はたぶん、“Coup”ともう1曲くらいをやった後に、有名なカルト・カンフー映画(タイトルを忘れてしまったんですけど)を見せられました。普通のカンフー映画は、主人公が悪者にやられて特訓を受け、もう一度悪者に立ち向かって最後に勝つ……という話だと思うのですが、この時の映画は、何回戦っても悪者にやっつけられるんです。で、最後は、自分の愛する人を殺されて狂ってしまった主人公が、まるで動物のようになって、悪者を食い殺すという。しかも、主人公が動物のまま終わるという凄いストーリーなんですが。いや、本当に23スキドゥーにはいろいろ考えさせられました。

  彼らはほかにも、凄い重要なウェアハウス・パーティーをオーガナイズしていたし、RONINというヒップホップ・レーベルなどもやっていたんですよね。今回の再発は、たぶん、アンドリュー・ウェザオールやケミカル・ブラザーズによる再評価を受けてって感じなんでしょう。でも、ぼくとしては、23スキドゥーの全体像を知ってもらいたいと思うのです。ベンジャミン・フルフォードみたいに、世界は陰謀に満ちあふれていると言うのは簡単なことですけど、23スキドゥーみたいに、理性を持って(KLFのビル・ドラモンドもそうでしょう)、ちゃんと世の中と戦ってきた奴らがいるというのは理解して欲しいんです。それがアートだと思うし、かっこいいことだと思うんです。