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第3回――バービーボーイズ

連載
その時 歴史は動いた
公開
2009/06/10   18:00
ソース
『bounce』 310号(2009/5/25)
テキスト
文/宮本英夫



ジョージ・オーウェルが暗黒の未来の象徴として描き、デヴィッド・ボウイがグロテスクな美のイメージとして歌った〈1984〉年。空前の影響力を誇ったYMOは前年に散開し、後の日本のロックを方向付けるBOOWYはブレイク前夜。地下ではラフィンノーズなどがリードするインディー・シーンが胎動し、地上では尾崎豊や渡辺美里らが新時代の青春ロックを歌う。時代の変わり目と言うべき84年の9月21日に、衝撃的なデビューを果たしたのがバービーボーイズである。彼らのような存在は前例もなく(その後フォロワーもいない)、〈バービーボーイズというコンセプト〉によって日本の音楽シーンの歴史が動いた瞬間だ。

ニューウェイヴからの影響を感じさせるクールなギター・サウンドに、フュージョン並みに圧倒的な演奏テクニック。ところがメロディーは馴染みやすい歌謡曲スタイルで、サックスも担当するイケメンのKONTAとセクシーで姐御肌の杏子が大人の恋の駆け引きをテーマに歌うナンバーは、ソウル・ミュージックのようでもムード歌謡のようでもある。そんな恐るべきオリジナリティーに早耳ロック・ファンは震撼した。が、わかりやすい青春メッセージ・ロックがもてはやされるなか、ビターな大人のムードを醸す彼らの存在は異質だった。デビュー曲“暗闇でDANCE”やセカンド・シングル“もォやだ!”などは、非常にキャッチーながらリスナーに媚びる甘さは一切なし。ゆえにバンドは約2年、雌伏の時を過ごすことになる。

風向きが変わったのは、86年発表のシングル“なんだったんだ? 7DAYS”と3作目『3rd. BREAK』だった。前年のシングル“チャンス到来”で初のミディアム・バラードにチャレンジするなど、よりポップな方向に舵を切ったバンドは、BOOWYやレベッカなどのブレイクと原宿のホコ天ブームが巻き起こした時代の波に完全に乗った。翌年はCM曲となった“女ぎつねon the Run”とアルバム『LISTEN! BARBEE BOYS 4』の大ヒットでついにトップ・バンドの座をゲット。同年8月に日本人アーティストとして初の東京ドーム公演を成功させたのは、歴史に刻まれる金字塔である。

その後バンドはすべての使命を全うした満足感と共に92年1月に解散。近年は杏子とKONTAはソロ・シンガーとして、いまみちともたか(ギター)、エンリケ(ベース)、小沼俊昭(ドラムス)は他アーティストの楽曲参加やプロデュース業などで忙しくしていたが、昨年夏に〈RISING SUN〉などのフェスに出演して復活。デビュー25周年にあたる今年も、2月に全国ツアーを行って新曲も披露するなど、どうやらこの物語には続きがありそうだ。それはすなわち〈バービーボーイズというコンセプト〉が、いまも有効であることを示す証である。

 

バービーボーイズのその時々



『1st. OPTION』 エピック/ソニー(1985)

バービーボーイズの歴史はこのアルバムから始まる。ゲート・リヴァーブをかけたドラムスやニューウェイヴ的なギターの響きなど80年代中盤におけるリアルタイムの洋楽に影響を受けた要素と、歌謡曲的なメロディーで男女ツイン・ヴォーカルが掛け合う日本的な要素とのバランスはすでに確立済みだ。

 

『3rd. BREAK』 エピック/ソニー(1986)

〈ブレイク〉というテーマをみずからに課し、それを見事に果たした出世作。ラウドでポップで勢いのあるナンバーが増え、KONTAのサックスがもうひとつの声としてそれまで以上に機能しているのも特徴だ。ヒット曲“なんだったんだ? 7DAYS”と泣ける名バラード“ラサーラ”も収録されている。

 

『LISTEN! BARBEE BOYS 4』エピック/ソニー(1987)

“泣いたままでlisten to me”“女ぎつねon the Run”“ごめんなさい”と立て続けに3曲のヒットを生んで、トップ・バンドの地位を手に入れたのはこの頃。基本的な曲調は通じてそれほど変わらないバンドだが、“涙で綴るパパへの手紙”など、歌詞の切り口で飽きさせずに聴かせる技は見事である。

 

『√5』 エピック/ソニー(1989)

前作でデビュー以来の音楽的スタイルを極めたせいか、パーカッションや打ち込みを採り入れたり、レゲエやソウルのアプローチにトライした過渡期の意欲作。PSY・Sの松浦雅也も参加したこのラスト・アルバムには、資生堂のTVCM曲としてバンド最大のヒットを記録した“目を閉じておいでよ”も収録されいてる。