80年3月、山口百恵が引退を宣言、そしてピンク・レディー解散。80年代の幕開けと共に70年代を彩ったスーパースターたちが退いたことにより、歌謡界では次なるスターのプッシュが始まった。同年に松田聖子、田原俊彦、河合奈保子、近藤真彦らがデビューし、これからの歌謡界を担うニュー・ヒーロー、ニュー・ヒロインの座は早くも埋め尽くされたかのように思えたが……。
明けて81年、たのきんトリオがホストを務めるTV番組「たのきん全力投球!」の1コーナーに登場する少女に注目が集まった。その子の名は松本伊代。華奢なルックスと大きな瞳。それはまさに〈理想の妹〉像を具現化したかのようだった。彼女は同年10月、シングル“センチメンタル・ジャーニー”でデビューする。ルックスだけではなく鼻から抜けるような個性的な歌声と、〈伊代はまだ16だから〉という前代未聞の強烈な〈自己アピール〉フレーズが多くの人々のハートを捉えた〈その時〉、やがて頼もしく成長/成熟していくニュータイプのアイドルが誕生したのだった。
彼女と同期のアイドルといえば、小泉今日子、堀ちえみ、石川秀美、早見優、シブがき隊、中森明菜――いわゆる〈花の82年組〉と呼ばれる面々が名を連ねるわけだが、多くのライヴァルがしのぎを削るなかでも松本伊代という存在が光り輝いていたのは、まず、その個性的な歌声あってこそだ。彼女の作品の多くを手掛けた作曲家・筒美京平はこう綴っている。〈はっきり云って美声ではないが、実にユニークな響きのある声、ちょっと甘えっぽく、少年的でもある伊代さんの声が私は大好きです〉(『松本伊代BOX』ライナーノーツより)、と。その歌声は楽曲に独特の表情を与え、ただ可愛らしいだけではない、ただ切ないだけではない彼女ならではの世界観を築いていったのだ。そして松本伊代がトップ・アイドルとして輝き続けたもうひとつの要因は、作品を重ねるごとに着実に磨かれていった表現力。小泉今日子の先取りセンス、早見優のリズム感覚、中森明菜の歌唱力といったような、あからさまにズバ抜けたものはなかったが、16歳でデビューし、やがて女子大生、そして20歳を迎え……という女性としての成長、大人へのステップをナチュラルに表現してみせた彼女は、それを後押しした多彩なソングライターたちにとっても、腕の振るい甲斐があるシンガーだったことだろう。
近頃の彼女はTVのヴァラエティー番組にもたびたび出演し、それこそ当時のエピソード映像と共に紹介されることもあるのだが、大抵は“センチメンタル・ジャーニー”の頃の話だ。アイドルとして活躍した9年間、どの時期にも聴きどころのある作品はあるのだが……。
松本伊代のその時々
『オンリー・セブンティーン』 ビクター(1982)
コスチューム感バリバリのヴィジュアルで、デビュー時からニューウェイヴの香りを放っていた伊代ちゃん。そのキテレツぶりは、糸井重里が詞を手掛けた“TVの国からキラキラ”“オトナじゃないの”など、楽曲でも加速する。〈か~けちゃうぞ、ピーピピッピッ♪〉は、のちの旦那もネタにした名フレーズ。
『Sugar Rain』 ビクター(1984)
〈アイドル松本伊代〉をステップアップさせたラヴバラード“時に愛は”を収録した、高校生時代最後のアルバム。同曲を含め、すべて尾崎亜美のペンによる楽曲を意外なまでに自然と歌いこなしている彼女に、ただならぬ可能性を感じる一枚でもある。彼女自身、シンガーとしての自我に目覚めたのもこの頃だとか。
『天使のバカ』 ビクター(1986)
細野晴臣作の“月下美人”、関口誠人(C-C-B)作の“Last Kissは頬にして”という秀曲2つで短大生時代を終えた彼女をさらにオンナにしたのは、林哲司のアーバン・テイスト。本作収録の“信じかたを教えて”は〈恋愛三部作〉の先鋒となったシングル曲で、アルバム・タイトルは現在のブログに継承されている。
『Private File』 ビクター(1989)
ただただプライヴェートを謳歌するばかりでなく、アフター5の寂寥感や情熱だけでは成就できない恋愛風景などなど、成人女子のリアルな日常をスケッチしたいわゆる〈OL時代〉の傑作。白眉はバカラック風に仕立てられた“有給休暇”で、〈女子力〉を引き立てる小西康陽のプロデュース・ワークに感服させられる。