続々とリイシューされる幻の名盤や秘宝CDの数々──それらが織り成す迷宮世界をご案内しよう!
私は内山田百聞。売れない三文作家であるが、道楽のリイシューCD収集にばかり興じているゆえ、周りからは〈再発先生〉などと呼ばれている。
それにしても〈居酒屋れいら〉で聴いたキャス・エリオットは素晴らしかった。彼女には体型以上に豊かな母性を感じる……などと考えているうち、気付くと私は月夜に照らされた一筋の街道めいた場所を歩いていた。両側には松並木が目の届く限り続き、遠くからはかすかに音楽が聴こえてくる。耳を澄ますとそれはキャスの72年作『Cass Elliot』(RCA/BMG JAPAN)だった。この包容力に満ちた歌唱は不思議な郷愁を駆り立てる。〈れいら〉の若者も彼女の良さに気付けば嬉しいのだが。
しばらく歩くと、音楽はリタ・クーリッジの78年作『Love Me Again』(A&M/ユニバーサル)に変わっていた。もともとは土臭いスワンプ畑から登場した彼女が都会的なポップスに転換してからの作品だが、たとえ洒脱なサウンドになろうとも情感豊かな歌声は十分魅力的で美しい。
リタに聴き惚れるのも束の間、続いて静かに聴こえてきたのはリタとは正反対のクラシック畑出身、ヴァージニア・アストレイの86年作『Hope In A Darkened Heart』(Warner UK/HAYABUSA LANDINGS)だ。坂本龍一も参加したヒーリング的音響の邂逅がまどろみの境地へと誘う、幻想ポップの名盤である。
彼女の愛くるしい声に癒されながらしばらく道を往くと、遙か先に人影が見えてきた。目を凝らすと、どうやら着物を着た女性のようである。そして流れてくる音楽も変わり、UKの可憐な歌姫、メリー・ホプキンのレア・トラック集『Now And Then』(Mary Hopkin)になっていた。トニー・ヴィスコンティが手掛けた70年代のフォーキーな楽曲が中心で、そのあまりにも清楚なメゾ・ソプラノ系の歌声に心が洗われるようだ。先を行く後ろ姿はますます近付いて、襟先から覗いた白く美しい肌から若い女であろうということまでわかるほどだった。
音楽はカレン・ベスが75年に残したウッドストック系歌モノの裏名盤『New Moon Rising』(Buddha/BMG JAPAN)へと変化している。ジョン・サイモンのプロデュースによるグッド・タイミーなサウンドも粋だが、カレンの素朴で爽やかなヴォーカルも沁みる。
不意に着物の女が立ち止まった。月光の下で振り向いたその顔は、若き日の母親のものだった。私は、泣いた。母も私を抱きしめて「やっとわかったかい」と涙をこぼした。その声は包容力があり、情感豊かで愛らしく、清楚にして素朴だった――。私はふと目を覚ました。夢のなかで本当に泣いたようで、枕には涙が湿っていた。母は遠い昔にこの世の人ではなくなっていた。