ロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、機会と人間が本当に融合しているような感覚を与えてくれる有機的なエレクトリック・デュオ、ファック・ボタンズについて。
ファック・ボタンズなんて名前だからどうせたいしたことない2人組だろうと思っていたら、2作目『Tarot Sport』には完全にやられてしまった。 エコ系の人が有機的(オーガニック)なんて言葉をよく使うけど、ぼくにとってはこれこそ有機的な音楽だ。しかし、有機と言ってもノイ!などのジャーマン・プログレの人力グルーヴみたいな感じじゃなく(そういうところもあるけど)、本当に機械と人間が融合しているような感覚を与えてくれる。まさにニューウェイヴ時代、ウルトラヴォックスのジョン・フォックスが〈機械になりたい〉と歌った理想の姿なんじゃないだろうか。1曲目“Surf Solar”なんか10分33秒もあるのに、一切退屈させない。この凄さは何なんでしょう。クラフトワークの『Trans–Europe Express』『Autobahn』のようにコンセプトがあるわけでもなく、ただ垂れ流されているだけなのに。いまのシンセだったら絶対入っているようなアルペジオの洪水から始まって(そういうのが2、3種類入っていると思われるけど)、そこに普通に4つ打ちが入ってくる。そして、今作のプロデューサー、アンドリュー・ウェザーオールが得意とするサンプリング・ヴォーカルをぶつ切りにしたものがパーカッシヴに聴こえてきたかと思うと(ファック・ボタンズのお得意でもありますが)、シューゲイザーのギター・ノイズのようなシンセがゆっくりと和音を弾くのである。たったこれだけである。アンディなんかもセイバーズ・オブ・パラダイスなどでこういうことをやっていたような気がするのだが、とても新鮮に感じる。アシッド・ハウス時代に、エクスタシーで朦朧としたなかでこういうのを聴いたらどんだけ盛り上がるんだろうと思うんだけど、もう世の中からは完全にエクスタシーが抜けているような気がする。それともイギリスのどこかの薄汚れた倉庫ではまた1987年のようなことが起こりつつあるのだろうか? 気になる。
もう20年以上前のことだもんな。ファック・ボタンズの2人が何歳なのかわからないけど、どう考えてもアシッド・ハウスの頃は、2人はまだ小学生くらいのような気がする。
しかし、おもしろい音楽である。ぼくがまず思ったのは、クラフトワークとストゥージズがいっしょにやっているような感じだなということ。もちろんファック・ボタンズにはギターなんか入ってないんだけど(と思う)。クラフトワークの伝記には、〈クラフトワークは次なる展開を考えていた〉とあった。いつの頃だか忘れたが、たぶん『Trans–Europe Express』の頃だったと思う。彼らはコンセプトものに煮詰まっていたのか、ストゥージズなどのミニマルなガレージ・ロックに新しい可能性を感じていたみたいだ。パンクの到来を予想していたかのように、彼らは本当に賢く、かっこいいと思う。もちろんクラフトワークはそちらにいかなかったけど。『Trans–Europe Express』の次のアルバムを聴けばわかるが『The Man Machine』はディスコに影響されていた。
クラフトワークとストゥージズを混ぜたのはデヴィッド・ボウイだった。それはそれはかっこよかったんだけど、クラフトワークのそういう展開も聴きたかったなと常々思っていて、ファック・ボタンズを聴いた時、ぼくはそういうことを思い出したのだ。
しかし、どうしてこうも有機的な感じで打ち込めるんですかね。元ノイズ・ユニットだったというのが関係しているんですかね。彼らのデビュー・アルバム『Street Horrrsing』を聴くとそういう感じがしますね。“Ribs out”とかは、23スキドゥー(この人たちノイズじゃないですけど、現代のファンクをしようと思っていた人たちでした)な叫びがいまに甦っていて嬉しくなります。はじめに〈ファック・ボタンズのお得意は、アンディのようにヴォイス・サンプリングをパーカシッヴに使うこと〉と書きましたが、ハードコアの叫びみたいな『Street Horrrsing』に対して、『Tarot Sport』はけっこうアンディのテクニックが効いている感じがして、さすがだと思いました。アンディの功績大です。アンディって、人の作品は本当に上手くポップにまとめることができるんですよね。自分の作品はどんどんダークなほうに行きがちなんですけど。しかし、やっぱファック・ボタンズの2人は本当にセンスが良いですね。ちょっとコピーしてみたいなと思いました。いま、イギリスでいちばんかっこいいユニットです。