その歌は、NHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX~挑戦者たち~」のオープニング・テーマとして2000年春からオンエアされ、その年の夏にCDリリースされた。タイトルは“地上の星”。中島みゆき、通算37枚目のシングルだ。同曲は、番組の評判と共にロング・ヒットとなり、2002年には「紅白歌合戦」へ初出場。24年ぶりにTVの生放送で歌った。そして2003年の年明け、1月20日付のオリコン・ウィークリー・チャートで“地上の星”がランキングの先頭に立った〈その時〉、中島みゆきというシンガー・ソングライターのバイオグラフィーと、日本のチャート史に大きな一行が付け加えられた。
52年、北海道札幌市に生まれた彼女は、地元でのアマチュア活動を経て、75年にデビュー。同年12月に発表した“時代”で注目を集め、翌76年4月にはファースト・アルバム『私の声が聞こえますか』を発表。個性的で力強い歌唱スタイルと情念の深い詞世界、情感豊かで馴染みやすいメロディーを持ち味とした彼女の魅力は、当初から音楽ファンの間で話題となった。その後、年に1~2枚のペースでリリースされる作品はすべて大ヒット。桜田淳子“しあわせ芝居”、柏原芳恵“春なのに”など、他のシンガーへの楽曲提供でもヒット作を量産し、中島みゆきの幅広い音楽性は急速に多くの人々へ浸透していくのだった。
そんな勢いは、デビューから10年以上経っても衰えなかった。自身の作品はもとより、“MUGO・ん…色っぽい”をはじめとする工藤静香のヒット・シングル群などでもその音楽の有効性を実証。89年には演劇とのクロスオーヴァーを図った舞台、〈夜会〉シリーズをスタートさせ(現在も継続中)、その後も貪欲なアーティスト精神を貫きながらコンスタントに活動を続けた。そして2003年1月――“地上の星”は、チャート史のさまざまな記録を更新した。リリースから130週目でナンバー・ワンを獲得、さらにこの曲で彼女は、70年代、80年代、90年代、00年代すべての時代においてナンバー・ワン・シングルを生み出した唯一のアーティストになった(77年“わかれうた” 、81年“悪女”、94年“空と君のあいだに”、95年“旅人のうた”)。“地上の星”はその後もロングセラーを続け、2006年1月には圏外からふたたびオリコンTOP100にチャートイン(66位)。そこで通算チャートイン週数を〈184〉としている。これまで幅広い層の心を掴んできた中島みゆきが、この調子で次の10年にナンバー・ワンを生み出すことは、決して考えられない話ではないだろう。
中島みゆきのその時々
『生きていてもいいですか』 ポニーキャニオン/YAMAHA(1980)
耳当たりが良く、洗練されたポップスがもてはやされはじめた同時代において、“うらみ・ます”で幕を開ける陰鬱さはあきらかに異質。それでも本作がNo.1ヒットとなったのは、彼女の高いソングライティング術と、時代に翻弄されず過去6作で貫いてきた独自性があってこそだ。
『LOVE OR NOTHING』 ポニーキャニオン/YAMAHA(1994)
大ヒット“空と君のあいだに”を含む……という触れ込みだが、デヴィッド・キャンベルがストリングス・アレンジを施した同曲のアルバム・ヴァージョンをはじめ、“地上の星”にも繋がっていく壮大なスケール感を作風に垣間見せるなど、新たな〈みゆきサウンド〉を提唱した作品。
『短篇集』 YAMAHA(2000)
「プロジェクトX~挑戦者たち~」の主題歌になった先行シングル“地上の星”とそのカップリング“ヘッドライト・テールライト”のコントラストからも窺えるように、楽曲ごとにさまざまな色彩、体温を持つ本作ゆえにこのタイトル。“地上の星”目当てで手にしたとしても、彼女の幅広い表現力に感心することだろう。
『DRAMA!』 YAMAHA(2009)
第二次大戦下で6000人にのぼるユダヤ人の命を救った外交官、杉浦千畝をモデルにしたミュージカル「SEMPO」と、自身の舞台〈夜会〉シリーズのために書き下ろした楽曲からセレクトされた36枚目のオリジナル・アルバム。概念的な表現でありながら感情の本質を捉えた詞世界、情感豊かでスケールの大きなメロディー、聴き手を惹き付けて放さないヴォーカリストとしての表現力――トレンドに左右されない唯一無二の感覚は、ここでもやはり圧倒的だ。