ロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、より実験的なダンス・ミュージックへ動き出した頃のニュー・オーダーと同じ輝きを放つマンチェスター発の3ピース・バンド、デルフィックについて。
次なるニュー・オーダーというか、イアン・カーティスが死んで途方に暮れながらも次なる模索をし、より実験的なダンス・ミュージックへと動き出した『Movement』の頃のニュー・オーダー。ボロボロだったけど、これでもかというくらい尖っていて、泣きもあって、ぼくはこの頃のニュー・オーダーがいちばんかっこ良かったと思っている。
この後、ニュー・オーダーは“Blue Monday”が売れていろいろと変わってしまったんだけど、それ以前のニュー・オーダーのかっこ良さというのを口で説明するのは本当に難しい。でも、その頃のニュー・オーダーと同じような輝きを持っているなと思ったのがこのマンチェスターの3人組バンド、デルフィック。そう思ったのはぼくだけじゃないみたいで、ベルギーの伝説のテクノ・レーベル、R&Sは彼らのために10年間の休止から目覚めて活動を再開する。
ベルギーと聞いてピンとくる人は少ないのかもしれないけど、 ニュー・オーダーのいたファクトリーというレーベルはインディーながらベルギーに支店を持っていて(イアン・カーティスの愛人、アニークがやっていたんだけどね)、それがファクトリー・ベネルクスと呼ばれる最高にかっこいいいレーベルだったのである。そういう土壌というか、そういう音楽が好きな人たちがいた街だったのだ。だからそこで後にR&Sというレーベルが生まれたり、ニュー・ビートというこれまたエロティックで最高にかっこ良いハウス・ミュージックが生まれたりするのはあたりまえのことだった。去年の〈SUMMER SONIC〉のエイフェックス・ツインのDJでリチャードがロード・オブ・アシッドなどニュー・ビートの曲をかけてくれていて、ぼくは〈お前は本当によくわかっているな〉と感動した。
ぼくがロンドンに住んでいた84年頃はそういうシーンが生まれる前夜だったわけだけど、〈ベルギーのクラブ・シーンは最高〉という噂がロンドンに伝わってきていて、ロンドンのクラブ・シーンに飽きたぼくは安い週末チケット(外国では仕事がない週末の飛行機チケットは安くなったりするのです)を買って、ナイトクラビングしに友達とベルギーへ行っていた。当時のベルギーのクラブはドリンクを1杯買えば入場料がフリーで、だからぼくたちは〈ロンドンではお金がかかるクラブのはしごが安くできる〉とベルギーに時々繰り出していたのである。ロンドンからは地理的には遠かったので、ベルギーほど安くは行けなかったのだが、いまだにホット(死語、すいません)な土地ベルリンも、そうやって同じように遊ぶ場所として人気があった。ぼくも一度行ったが、その感じはまさにデヴィッド・ボウイとイギー・ポップがベルリンのナイトクラビングに夢中になっていた77年頃と何ら変わっていなくて、まさにイギー・ポップの名曲“Nightclubbing”とデヴィッド・ボウイの名曲“D.J.”の世界そのままの退廃さだった。そして、空襲で破壊されなかったクーダムというエリアにはたくさんのスクワット(空き家を不法に占拠し、滞在すること)があって、一度ベルリンに入れば、安いお金で過ごすことができた。ぼくも何となく行ったのに1か月くらい楽に暮らせた。映画「クリスチーネ・F “麻薬と売春の日々”」の世界とここからアインシュツルツェンデ・ノイバウテンが出てきたんだ、という感じでしたが。これがアシッド・ハウス前夜のイギリス人のクラブ・ライフのひとつだった。懐かしいな。
デルフィックのプロデューサーがベルリンに拠点を置くイワン・ピアソン。そしてマンチェスター~ベルギー~ベルリンって、まさにこの頃の黄金地帯じゃないですか、84年も2010年も何も変わっていないんですね。いや、やっぱりこうした歴史がいい音楽を生むのでしょう。
しかし、デルフィックのアルバムはシングルとは違い、イギリス、ヨーロッパのクラブ・シーンの血よりも、もっと叙情性を感じる。サカナクションがくるりのあの感じを(何を書いても岸田くんに怒られそうなので〈あの感じ〉って言っちゃってるんですが、というか、この書き方は両方から怒られるでしょう)上手くダンス・ミュージックに採り入れたのとすごく似ている感じがする。本当に世界で同時に同じような変化が起こっているような気がする。ぼくは新しいバンドを聴いていつも昔を思い出してしまっているんだけど、それでも新しいバンドを探してしまうのは、そこにいつも何か新しさを感じてしまうからだ。そして、そこには何かリンクするものがあって、ぼくはそれが何なんだろうと聴き続けてしまうのです。