ロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、いまの時代そのままの虚無感を90年代に鳴らしていたローファイ・バンド、ペイヴメントについて。
野田努、三田格、松本正人、磯部涼、二木信が書いた「ゼロ年代の音楽 壊れた十年」という本はとっても気になる本なんですが、でも野田さんの前書きにぼくは異議を唱えたい。野田さんはNMEとガーディアンとピッチフォークの2000年代のベスト10に共通するバンドがいない、いまはそういう時代なのだと書いている。まっ、野田兄ぃらしい危機感を煽る素晴らしい文章なんだけど、ぼくとしては、80年代なんかと比べると、いまのほうがUSも、UKも、若いのも、オッサンも同じようなバンドが好きだなとビビってしまう。
80年代だと、スミスなどの共通項はあったとしても、ガーディアンはクリス・レアとかジョン・マーティンを推し、NMEはジーザス・アンド・メリー・チェインとかを推していたと思う。そこには世代の違いがあったと思う。当時、ピッチフォークのようなメディアはなかった。ピッチフォークと比較できるメディアというとローリング・ストーンっていうよりはマキシマム・ロックンロールで、そう思うと本当にいまのシーンはメジャーもマイナーもないなと思ってしまう。この共通項が何なのかぼくにはわからない、もう完全に掘り起こされてしまったからどのバンドにも似た空気を感じるのか、それとも〈いつもの時代の空気なんだよ〉と安心して言ってられるのか、ぼくにはわからない。でも、このゼロ年代の始まりのようなバンドと言えば、今年再結成をするペイヴメントだということは間違いないだろう。
こうして久しぶりに聴いてみると、いまのバンドとの共鳴感にびっくらこいてしまう。パンクの時代、〈パンクとはリチャード・ヘルの“Blank Generation”だよ〉って言われていて、何を言っているのと思っていたのに、大人になって“Blank Generation”を聴き直してみたら〈セックス・ピストルズの“Pretty Vacant”はまさにそのままだし、なるほどね〉と感動したのだが、その時と同じことを感じている。ローファイということで言えば、ベックちゃんの“Loser”らへんなのかもしれないけど、ペイヴメントの虚無感はまさにいまの時代そのままなような気がしてならない。元々はフォールなんかが好きで、そのグランジ版というか、アメリカ版という感じで始まった彼らなのかもしれないんだけど、何なんだろうな、いま聴いても〈これは新しいな〉と思ってしまう。
いまの人たちがどういう感じでペイヴメントをプレイヤーに入れるのかわからないけど、間違いなくピクシーズやニルヴァーナを聴くのとは違うような気がして仕方がない。知っている童謡のように聴くのか?と思ってしまう。どういうことを歌っている歌詞なのか、ぼくは以前よく理解していなかったので、今回はじっくりと歌詞を読みながら解読していきたいなと思っている。すごく未来のことを予言していたような気がしてならない。