日本の音楽史にその名を刻んだアーティストのドラマ
83年夏のある日。彼らはセカンド・アルバムのためにレコーディングした数曲のデモテープを、レコード会社のスタッフに聴かせていた。ファースト・アルバムのセールスが芳しくなかったこともあり、これまで以上に練り上げられた、ある意味〈勝負〉の楽曲たち。そのなかの一曲を、たまたま訪れていたCM制作の関係者が耳に留めた。この曲をぜひ使いたい――そのほんの偶然がバンドの運命を大きく動かした。11月、アルバムに先行してリリースされたその曲、“ワインレッドの心”は、年の暮れに赤ワインのTVCMソングとしてオンエア。気怠くもムーディーなヴォーカル、センシュアルで情熱的なメロディーラインがお茶の間に流れた〈その時〉、後の時代を艶やかに飾り立てた〈安全地帯〉という名の真新しいチャームが、日本のポップス・シーンの表舞台に登場したのである。
安全地帯は73年、リーダーである玉置浩二を中心に中学の同級生3人で結成されている。当初はコピー中心のレパートリーだったが、やがてオリジナル楽曲を増やし、全国規模のコンテストにも精力的にエントリーしていった。78年には地元の北海道は旭川市郊外に、廃屋を利用したプライヴェート・スタジオを設立。本格的にプロをめざして音楽活動を始めたこの頃のレパートリーは、ドゥービー・ブラザーズのようなリズム・セクションが際立つアメリカン・ロック・テイストのオリジナル・ソングだった。その後、着実に実力を伸ばしていった彼らに、その後のパートナーとなるレコード会社のディレクターが注目。井上陽水のツアー・バンドという武者修行を経て、82年2月にシングル“萌黄色のスナップ”で念願のデビューを果たす……が、デビュー当初はさして話題にもならなかった。いま流行っている曲より自分の曲のほうが良い、という自信は常に玉置自身のなかにあったようで、要はタイミングだった。〈CMやTV番組の主題歌にでもなれば絶対にヒット間違いナシだ!〉と時折口にしていたそうだが、そんな彼を運命の女神は見ていたのだろうか……。
“ワインレッドの心”以降、“恋の予感”“熱視線”“悲しみにさよなら”など、長いキャリアに裏付けられたハイセンスなバンド・アンサンブルを軸に、セクシーかつファンタスティックなヒット曲を量産していった彼らは、88年に活動を休止。その後、各々ソロ活動を展開したが、90年~92年、2002~2003年と、これまでに2度活動を再開させている。そして2010年3月。2003年以来となるシングル『蒼いバラ/ワインレッドの心(2010ヴァージョン)』(ユニバーサル)を引っ提げ、彼らはふたたび立ち上がる。
安全地帯のその時々
『安全地帯II』 キティ/ユニバーサル(1984)
“ワインレッドの心”のイントロ、そのギター・フレーズは、80年代の日本の音楽シーンにおけるハイライトのひとつとだと言っても良いだろう。収録曲のそこかしこに洋楽のトレンドやニューウェイヴの影を探ることもできるが、基本的にはその濃厚な世界観と共に跡形もなく煮詰められている。
『安全地帯IV』 キティ/ユニバーサル(1985)
ブレイク後の彼らのサウンドを特徴付けていたダークな部分を伏せてみせた冒険ナンバー“悲しみにさよなら”がバンド史上最高のヒット曲に。それを受けての本作も初のオリコン・チャートNo.1アルバムとなった。ちなみに翌年、玉置は斉藤由貴に“悲しみよこんにちわ”を提供し、ヒットさせている。
『安全地帯VIII ~太陽』 キティ/ユニバーサル(1991)
1度目の再活動期における作品。ソロ作でエキセントリックと呼ばれるような域にまで広げられた玉置のヴォーカル・スタイルによって、80年代の安全地帯とはあきらかに差別化できる。センシュアルな匂いが控えめになったのは好みが分かれるところだが、彼らは安泰よりも冒険を選択したのだ。
『安全地帯X ~雨のち晴れ』 ソニー(2003)
2度目の再活動期に発表した本作は、90年代中期以降に発表した玉置のソロ作と同調するように、アーシーなアメリカン・ロック・テイストと、人を慈しむような優しい詞世界が特徴的だ。〈もぉっとKissを~た~のぉしんだり~♪〉と狂おしく歌っていた玉置もすっかりナイスミドル。