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ホールが12年ぶりに始動――誰にもコートニー・ラヴは変えられない

連載
久保憲司のロック千夜一夜
公開
2010/04/21   18:01
更新
2010/04/21   18:10
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文/久保憲司

 

ロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場 の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、12年ぶりの新作を発表するホールについて。カート・コバーンの作曲能力を受け継いだコートニー・ラヴ。彼女を変えることは、誰にもできない――。

 

コートニー・ラヴについて言っておきたいことがある。カート・コバーンと結婚して売名行為をしたとか言われているけど、付き合った当初は完全にコートニー・ラヴのホールのほうが話題のバンドだったのである。ホールのデビュー・アルバム『Pretty On The Inside』はなんてったってキム・ゴードンのプロデュースだし、ヘヴィメタのリフをパクったようなニルヴァーナよりも、カオスのなかで自由奔放に歌うホールのほうが断然かっこいいとぼくは思っていた。

いまとなっては不思議な感じがするんだけど、ニルヴァーナの良さというか、カート・コバーンの作曲能力の素晴らしさに気付くのは、ずっと後なのだ。何でわからなかったんだろう。でもレッチリのジョン・フルシアンテも、ニルヴァーナを前座に起用している時はニルヴァーナの良さは全然わからず、その後、カート・コバーンと名の付くものなら何でもいい症候群にハマったりするから、きっとカートの曲というのは後からボディーブロウのように効いてくるもんなんだろう。でも、もっと不思議なのはガンズ・アンド・ローゼズなんかもぶっ飛ばし、アメリカン・ロックの標準となったカートの音楽を誰一人模倣できなかったことだ。

そんななかで唯一カートの作曲能力を身に付けた人がコートニー・ラヴだったんだなと、ホールの2枚目『Live Through This』を聴くと思う。その素晴らしさゆえに、『Live Through This』の曲はカート・コバーンが作ったんじゃないかと言われたりもした。メディアというのはどこまでコートニーを侮辱するんだろう。

『Live Through This』は『Pretty On The Inside』と同じように自分の過去、現在、未来を赤裸々に語った作品である。唯一の違いは『Live Through This』はアコギでコードを弾きながら作ったのかなというのが見えるようなところだ。カートが部屋でギターを弾いているのを見ていたコートニーが、それをなぞるように部屋の片隅で作ったのが目に浮かぶような――そんなことを想像しながら聴いていると目頭が熱くなるアルバムである。

好きな女の子に自分の才能を受け継いでもらえるなんて最高なことじゃないだろうか。「こうやって曲を作るんだよ」「歌詞というのはこういうもんだ」などと手取り足取り教えているうちに「えー、わかんない」などと言われ、「何でわかんないんだよ」と喧嘩するのが普通のカップルである。それをコートニーはドラッグ問題で子供を取られそうになるわ、旦那はこんな人生嫌だと自殺未遂を図るわ、などの大変な状況のなか、よくもまあ自分のスタイルを作ることができたなと思う。そして、もっと驚異的なのは次なる『Celebrity Skin』で旦那が拒否していたメインストリームのアメリカン・バンド的な王道サウンドを完全に自分のスタイルに採り込みながらも、けっしてセルアウトすることなく最高のロック・アルバムを作ったことである。ニルヴァーナの『Nevermind』は偶然にメインストリームのサウンドとなったけど、ホールの3枚目は意識してメインストリームのプロダクションを自分たちのものとしている。女性は強いという感じであろうか、私はブレないということをよく理解しているのかもしれない。

そして、コートニー・ラヴのソロと言ってもいいホールの4枚目のアルバム『Nobody's Daughter』である。悪いわけがない。今回も娘のフランシス・ビーンとの関係が悪化するなどいろんなことがあったみたいだけど、ボブ・ディラン『Blood On The Tracks』のようにいまの彼女の気持ちを歌い上げている。元ラリキン・ラヴのギタリスト、ミッコ・ラーキンが参加していたり、その前はアンソニー・ロッソマンド(元ダーティ・プリティ・シングス)、ベン・ゴードン(元デッド60s)なんかとセッションしていたみたいだったりで、UK的なアルバムになるのかなとも思ったんですけど、誰もコートニーを変えられるわけはない。まさに、コートニー・ラヴなアルバムなのです。