ロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場 の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、UKインディー・ミュージックの新たな解釈を提示したデビュー・アルバムの発表を控えるUSの4人組、ドラムスについて。モリッシーがスミスで見た夢は、まだまだ続いている――。
ドラムスがむちゃくちゃ良い。どう良いかと言うと、NMEが彼らに送った賛辞〈ベスト・ブリティッシュ・バンド・フロム・アメリカ〉――これがすごく言えていると思う。キラーズの時は〈ちょっとパクりすぎなんじゃないの?〉と思っていたんだけど、ドラムスに関しては、〈本当にあんたら英国の音楽、インディー・ミュージックがよくわかっているな〉と納得してしまうのだ。45のオッサンで、しかも〈俺は30年以上もUKのインディー・ミュージックを聴き続けてきたぞ〉〈UKのインディー・シーンの隅から隅まで知っているぞ〉〈俺はUKインディー・シーンの生き字引だぞ〉と自負しているぼくみたいな男が、ドラムスみたいな若い人たちに〈そうか、こういう英国音楽の解釈の仕方があったのか〉と納得させられているのはどうかと思うんだけど、でもドラムスを聴いていると、リヴァーヴのかけ方からハイハットの音まで、すべてに関して本当に気持ち良くさせられるのである。
そりゃ“Let's Go Surfing”なんか初期キュアーを速くしただけじゃん、“Skippin' Town”“Forever & Ever Amen”なんか〈ジョイ・ディヴィジョンをポップにしただけじゃん〉という声も聞こえてきそうだけど、1曲目の“Best Friend”はモリッシーの感じなんだよな。いまはもろスミスみたいなバンドも出てきているけど、スミスの内面みたいなものも歌にしたバンドが出てきたのはちょっと衝撃。しかも、スミスじゃなくてモリッシーの感じなんだけど、わかるかな?……と言いつつ、ぼくはドラムスを聴くまでスミスのことはよくわかっていたつもりだけど、モリッシーのことはよくわかっていなかった。いま、ぼくはドラムスを通して初めてモリッシーのことがわかったような気がする。
スミスはぼくたちとずっと戦ってくれていたような気がしていた。スミスと僕たちはずっと共犯者のような気がしていた。ソロになってからのモリッシーは若いロカビリー風の男の子をバックにはべらせて、ノスタルジーを歌っているとしか思えなかった。でも、ドラムスがピックアップするモリッシー的な部分を聴いていると、モリッシーの歌というのはずっと若者たちに決起を促していたんじゃないかと思えてきた。ニューヨーク・ドールズを聴いていた若者がパンクを始めたように、〈お前らも何か始めろよ、スミスとはそういうバンドだっただろう?〉と言い続けていたような気がして、そうしたら、なんか涙が溢れてきたよ。
これはぼくの思いすごしかもしれないけど、デレク・ジャーマンが撮ったような“Forever & Ever Amen”のPVのあの感じ――ドラムスがユース・クラブで演奏を始め、若者たちが楽しむ。そして、ちょっと古いものを壊していく――それは、モリッシーがスミスで夢見たものであり、〈スミス時代にぼくはそうしたんだよ、次は君たちだ〉と言っているのと似ているような気がする。ドラムスがぼくたちにどんな夢を見せてくれるのか知らないけど、まだまだ夢は続いている感じだよな。次は日本から〈ベスト・ブリティッシュ・バンド〉と呼ばれるバンドが出てきたらいいのに。