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映画『ペルシャ猫を誰も知らない』

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公開
2010/07/21   13:29
更新
2010/09/03   11:28
ソース
intoxicate vol.86 (2010年6月20日発行)
テキスト
text:北中正和

『ペルシャ猫を誰も知らない』はイラン人(クルド人)のバフマン・ゴバディ監督が首都テヘランの主にアンダーグラウンドな音楽シーンの現実をフィクションをまじえて作った映画だ。イランでは映画の撮影には当局の許可が必要だが、この映画は許可をとらず、ゲリラ的に17日で撮影された。そしてこの映画を最後に監督はイランを離れた。

イランのポピュラー音楽は国外ではほとんど知られていない。猫はスラングでミュージシャンを意味する。映画のタイトルにはペルシャ猫の美しさや誇り高さと、国情ゆえに国内外で知られていないイランのミュージシャンという意味もこめられているのだろう。

イランの音楽の入手しやすいCDにラフガイドのシリーズで出ている『イラン』というコンピレーション・アルバムがある。そのCDではアリアン・バンドのような公認のグループから非公認のアーティストの音楽や民謡や古典音楽までが紹介されていた。

しかしこの映画に登場するミュージシャンの多くは、そのCDよりずっと欧米寄りの音楽をやっている。主人公のテイク・イット・イージー・ホスピタル(ネガルとアシュカンのユニット)のように基本的に英語でうたっているインディー・ロックのバンドもある。ラッパーやフュージョン・バンドやヘヴィ・メタルっぽいバンドも出てくる。

外国人のぼくの目から見れば、ワールド・ミュージックの王様として紹介されるダールクーブのように伝統的な色彩を帯びた音楽がおもしろいが、インディ・ロック的な音楽に共感する人もいるだろう。

イスラム革命以後のイランで音楽が置かれてきた状況の厳しさを知っている人なら、この映画の音楽に、たぶん、ここまで来たかという感慨を持つにちがいない。マルジャン・サトラビの『ベルセポリス』でもふれられていたが、79年の革命後のイランでは古典音楽もポピュラー音楽もしばらく禁止された。古典音楽が許可されてからも、女性のソロ歌手は人前でうたえない(映画の中でもそれが話題になる)。後に規制はかなり緩くなったが、公認されているポピュラー音楽的なものはいまだに少ない。だからこの映画のような音楽の存在自体がイランのポピュラー音楽史的には意味を持つ。

一方、欧米やそのほかの地域の音楽を聴いている人にとっては、これらの音楽はまっとうすぎるかもしれない。やっぱりイランの音楽は遅れていると思う人もいるだろうし、そのまっとうな音楽をやっているミュージシャンが、これといった理由も示されないまま、逮捕されたり、CDを出せなかったり、コンサートができなかったりする規制の不条理に驚く人もいるだろう。

この映画には、トルコの首都イスタンブールの音楽事情の格好の案内映画『クロッシング・ザ・ブリッジ』を思わせるところもある。ただし『クロッシング・ザ・ブリッジ』は、在独トルコ系のファティ・アキン監督が、ドイツ人のミュージシャンの目を通して、トルコの音楽を紹介する映画だった。それに対して『ペルシャ猫を誰も知らない』は、海外の情報も反映させつつイラン人がイランの音楽を紹介するところが異なっている。この映画は、規制をかいくぐりながら誇り高く自分の信じる音楽をやっている人たちに、同様の状況で苦労している映画人から寄せられたエールでもあるのだ。

『亀も空を飛ぶ』をはじめとする評価の高い作品を作ってきた監督の映像は切れ味鋭く、テンポも速い。建物の中の奥まった隠れ家的練習場、テヘランの街の光景など、映像そのものが多くのことを物語っている。キアロスタミ監督らの世代のイラン映画とは明かに異なるこの感覚が、監督個人の作風なのか、新しい世代の登場を示すものなのか、残念ながらぼくには語れるだけの知識はないが、力量ある監督の作品であることはまちがいないと思う。

映画『ペルシャ猫を誰も知らない』

監督:バフマン・ゴバディ
配給・宣伝:ムヴィオラ (2009年 イラン 106分)
◎8月、ユーロスペースほか全国順次ロードショー
persian-neko.com