撮影現場にて用意されていたビキニが合わなかったという説と、本人に内緒でそういうハプニングが用意されていたという説がある。そう、90年12月、フーミンこと細川ふみえが「ORE」誌の巻頭グラビアにて〈眼帯ビキニ〉姿を披露したまさにその時、歴史は動いた……のかどうかはわからないが、何かがビクンと動いた青少年は多かったに違いない。
同年の〈ミスマガジン〉に輝いた彼女の魅力は、表面的な点では公称90CM・Gカップのバストであった。当時はいまほどカップ数の記号化が常識ではなかったものの、数字じゃない部分でその破壊力は圧倒的だった。同時代にはCCガールズ、岡本夏生、かとうれいこ、飯島直子といったセクシーアイドルが跋扈し、アイドルの意味は大きく変化。曲を発表して露出を図るよりもグラビアで文字通り露出するほうを優先するという、ある種の即物的な流れはこの頃に確立されたのだ。細川もお色気番組「ギルガメッシュないと」の司会を務めるなど、その流れに沿って活動範囲を拡大している。
もっとも、後に〈巨乳専門〉の芸能事務所として脚光を浴びるイエローキャブに在籍していたからといって、彼女の魅力のすべてが肉体に集約されていたわけではない。彼女にはその声があった。単に舌足らずというわけでもなく、当時すでにキャット・ヴォイスで一部の支持を得ていた三浦理恵子をもっとミルキーにふやけさせたようなその魅惑的な声は、お世辞にも歌が上手いわけではない彼女があえて歌を発する〈理由〉だったように思う。
92年9月にリリースされたデビュー・シングル“スキスキスー”は小西康陽が詞曲を手掛け、福富幸宏がアレンジを担当。当時の小西はピチカート・ファイヴで一般層にリーチする直前だったが、彼女の不思議な発語の魅力をナンセンスな詞と無機質なメロディーで巧く引き出している。続く93年2月のシングル“にこにこにゃんにゃん” はまだ電気グルーヴがコミック・バンド視されていた頃の石野卓球が書き、同年7月の“だっこしてチョ”は卓球とピエール瀧が担当。軽くエロを含ませたキッチュな佳曲が重ねられていくものの、タレントとして一段高い位置に昇った95年を境に、彼女のシンガーとしての活動は終わりを告げることになった(卓球のナンセンス歌謡を生み出す手管はこの後の篠原ともえ仕事で活かされていく)。
いまも彼女の曲を聴くと、困り顔で歌わされているような表情が目の前に浮かんでくる。恥じらいや初々しさとは異なる、あのファニーな困り顔が、その後の波瀾万丈までも予見していたのかどうか……いまとなっては確かめる術はない。
細川ふみえのその時々
細川ふみえ 『THE BEST HIT & HEAL + CLIPS~HOSOKAWA FUMIE BEST COLLECTION~』 ポリスター
歌手活動のまとめとして94年に出たベスト盤『HIT & HEAL』をヴォリュームアップし、映像集もセットにした国宝級のリアル・ベスト。テクノ・ポップを下敷きにした意匠が中心ながら、スティールパンが響く南国風味の“メロンの切り目”、同時代のモーマスあたりを連想させる未来派ポップ“抱きしめてバルーン”など、どれもフニャフニャ声のヤバさをよく弁えた作りで素晴らしい。なかでも“にこにこにゃんにゃん”のダブ・ヴァージョンはキクぜ!!
三浦理恵子 『My これ! Liteシリーズ 三浦理恵子』 ポニーキャニオン
女優として知られる彼女だが、89~94年にCoCoの一員として活動する傍ら、蠱惑的なフニャフニャ声を活かしてソロでも良曲を残していた。シングルをだいたい収めたこの編集盤にて、小西康陽が詞曲/船山基紀がアレンジを手掛けたボッサ歌謡“日曜はダメよ”(91年)のヤバさを確認してほしい。
雛形あきこ 『ゴールデン☆ベスト 雛形あきこ』 ビクター
公称83のE。フーミンの事務所の後輩ながら、前屈みで谷間を強調するポーズを定着させた彼女はより意識的にグラビアアイドル像を確立した先駆者だと言える。本盤は95〜96年の短い歌手時代に浅倉大介らと残した楽曲を網羅。ティーンらしいダンス・ポップにこちらの胸も弾む。「水戸黄門」も楽しみだ。
小林恵美 “スキスキスー2007~こばえみリズム~” フォーサイド(2007)
R.C.T.の一員でもあった彼女のソロ・デビュー・シングル。公称88のF爆弾を誇り、イエローキャブ~サンズ所属という系統だけにフーミンをカヴァーするのも納得だが……ある種のダミ声も破壊力抜群だ。作者の小西康陽がふたたびサウンド面を仕切り、あいさとう(ヘア)や新井俊也も参加!