長年バイイングに携わってきたタワースタッフが、テクノについて書き尽くす連載!!
90年代のテクノ(クラブ)・シーンを振り返るなら、オーブとその中心人物であるアレックス・パターソンの話を避けることは不可能である。
オーブの魅力は、やはりアンビエントやダブやハウスなどの要素を詰めるだけ詰めて、ムダにスケール感だけ足した〈大風呂敷を広げるだけ広げて畳まない〉感じではないか。それはアレックスのルーツがニューウェイヴ(キリング・ジョークのローディーだった)、プログレ(キング・クリムゾンやブライアン・イーノを輩出したEGのA&Rを務め、後の作品ではジャケでピンク・フロイドへのリスペクトを表明している)、レゲエ~ダブ(後にトロージャンから自身選曲のダブ・コンピをリリースするほど)であったという点が大きいだろう。
プログレとアンビエントの近似性に意識的だったかどうかはわからないが、89年のデビュー(シングル曲名長すぎで省略。通称:ラヴィング・ユー)以降、名盤ファースト『The Orb's Adventures Beyond The Ultraworld』(1991)までの奇跡的なスケールのデカさは、当時のパートナーだったジミー・コーティ(KLF)との〈風呂敷を畳まない〉者同士による最高の大風呂敷だったのだ(このコンビではアンビエントの名盤『Space』もアリ)。
そしてコーティが風呂敷を畳まずに離脱した後、よりダンス寄りにフォーカスした92年作『U.F.Orb』(個人的には最高傑作)を発表し、プライマル・スクリームの超名曲“Higher Than The Sun”(91年)をプロデュース……と、当時は神懸かり的な勢いで、あげく93年、再生YMOの東京ドームでのライヴのオープニング・アクト(しかし、皆よくわかってなかった)まで演ってしまうというバブルぶりであったが、その実、コーティやユース(元キリング・ジョーク)らパートナーの離脱続きでオーブ自体は流動化していた。
このあたりから元パレス・シャンブルグであり(モーリッツ・フォン・オズワルドも同窓生!)、アレックスとユースによるレーベル=ワウ・ミスター・モド(つい先日、豪華コンピがリリース)にてレディメイド(当然、小西康陽ではない)名義でのリリースもあるトーマス・フェルマンがレギュラー相棒となる。アレックスと同じ穴のムジナというか、風呂敷を畳めないこれまでの相棒とは異なり、フェルマンは非常にキッチリした、いわば風呂敷をキチンと畳む人(実直そうなルックスがすべて)なので、フェルマン相棒時代は非常に(オーブ基準だけど)整頓された音となったのだ(特に2003年から2006年のポスト・クリック・ハウスの牙城=コンパクトとの蜜月時代)。
しかしそんな破天荒な(悪)ノリは静まり、これでアレックスもやっと大人になったのね……と思ってたら、2006年には悪友コーティとまさかの再合体でトランジット・キングスを始動(でもコーティは作品リリース前に脱退)。そして2007年のアルバム『The Dream』でユースとも再会、同じく2006年、2007年には『The Orb's Adventures Beyond The Ultraworld』『U.F.Orb』をデラックス版でリイシューしたりと、アレックスの風呂敷広げ欲望が高まる一方のなか、遂に今年、超大風呂敷が広げられた!
以前からリスペクトしてやまないピンク・フロイドのギター、デイヴ・ギルモアを全編フィーチャーした……というよりほぼ共作とも言える『Metallic Spheres』! これがホント素晴らしい! アレックス&ユースの風呂敷コンビが紡ぐ、ハウスやらダブやら何やらが混沌と入り交じった壮大なサウンド曼荼羅の上を、さらなる巨大風呂敷の持ち主=ギルモアさんのいい湯加減ギターが全編流れっぱなし、というサウンドは、まるで極楽浄土テーマパークのよう! やはり風呂敷は広げっぱなしのほうががいいですね(一般生活以外では)!
▼文中に登場したアーティストの作品
PROFILE/石田靖博
クラブにめざめたきっかけは、プライマル・スクリームの91年作『Screamadelica』。その後タワーレコードへ入社し、12年ほどクラブ・ミュージックのバイイングを担当。このたびの引っ越し=異動によって、本当にある店舗の番長的な立場に。カレー好き。今月のひと言→最近は某ミッションの遂行のため、家のアナログ群を聴き漁る日々。いやあ、90年代テクノは最高です! いちばんの収穫は、持ってないと思っていたクリスチャン・ヴォーゲル“Don't Take More”のジェイミー・リデル・ミックスが発掘されたこと。