ロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ 〈現場 の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、ボブ・ディランの公式ブートレグ・シリーズの第9弾『The Bootleg Series Volume 9: The Witmark Demos 1962-1964』について。言葉でポップ・ミュージックの歴史を変えた彼は、はじめから〈ボブ・ディラン〉だった――。
ビートルズとボブ・ディランの偉大さを簡単に言えば、ビートルズは音楽で、ボブ・ディランは言葉でポップ・ミュージックの歴史を変えたということだと思う。
ビートルズの偉大さは、その音を聴けば一発でわかると思うが、ボブ・ディランの言葉が、どれだけ凄いのか、英語を喋らない日本人には少し理解しにくいかもしれない。しかし、ボブ・ディランの代表曲“Like A Rolling Stone”が6分9秒という当時のシングルの常識を覆す長さになったのも、ボブ・ディランの『Blonde On Blonde』がロック史上初の2枚組LPになったのも、それは音楽性からということではなく、言葉が溢れたからだと説明すれば、ボブ・ディランの言葉の凄さを少しわかってもらえるような気がする。
『Blonde On Blonde』を聴いてみてください。英語がわからなくたって、何回でも聴き続けることができると思います。ボブ・ディランの発する単語がドラッグをやったかのように、気持ち良く身体のなかに入ってくるのです。ジミ・ヘンドリックスやジョン・レノンら60年代のミュージシャンたちも、きっとこんな感覚が気持ち良くて、ボブ・ディランのレコードに何回も針を落としていたんだろうと僕は思います。ビートルズの音楽にそういう効果があったように、ボブ・ディランが発する言葉にもそれと同じ魅力があるような気がするのです。
なぜ、ボブ・ディランがそんな魅力を発せられたか、それは彼がアンフェタミンやマリファナなどのドラッグをやっていたからか、たぶん、それもあるでしょう。ぶっ飛びながら、ハイになった人にしかわからない感覚で、時代の空気を感じ、時代の声を代弁する、そんなシャーマンみたいな魅力がボブ・ディランの歌には確かにあります。
でも、ボブ・ディランの作詞方法でいちばん僕が好きなのは、ザ・バンドのメンバーと『The Basement Tapes』を作っている頃のものです。ボブ・ディランのウッドストックの家の居間にはタイプライターが置いてあって、ボブ・ディランやザ・バンドのメンバーがそのタイプライターの前を通るたびに、一言づつその歌詞に合う言葉を足していったそうです。じっくりと時間をかけながら言葉を選ぶ作業、そこにボブ・ディランの言葉の魔力があると僕は思うのです。
じゃ、ドラッグをやれば、言葉を選んでいけばディランになれるのか。絶対無理でしょう。だから僕は、なぜディランがディランとなったのか、興味が尽きないのです。このブートレグ・シリーズはまさにそういう人たちへの本人からのガイド・ブックであり、挑戦状です。そして、今回遂に、デビュー前のボブ・ディランのデモテープが本人から公開されたというわけです。本人、っていうより神ですよね。聴いてみて思うのは、ボブ・ディランははじめからボブ・ディランだということです。神ははじめから神なんです。もちろん、まだ完全に自分の言葉をコントロールしていないかもしれません。でも、やっぱこのデビュー前のデモテープからでも、彼の発する言葉に、意味は完全にわからなくっても、引き込まれていってしまうのです。
ボブ・ディランの伝説に〈ビートニクのハリー・スミスがアメリカの伝承音楽の総体性をコンパイルした『Anthology Of American Folk Music』を友達から盗んで消えた後、久しぶりにステージに立ったら彼はボブ・ディランになっていた〉というのがあるけど、それも嘘ですよね。ボブ・ディランははじめからボブ・ディランなんですよ。
このブートレグ・シリーズの解説はいつも素晴らしいです。今回はボブ・ディランがどうやって、ティンパン・アレーを一人の力で消滅させたか、当時の空気を感じさせながら説明してくれています。
ボブ・ディランだけじゃなく、日本のフォークとは違ったアメリカのポップ・ミュージック史の歴史とその変化の瞬間を知りたい人には、必聴の一枚でもあります。