木内「池袋のタワレコは学生の頃からよく行ってたなあ」
山口「池袋もそうだしさあ、CDのコメント書かせてくれって全国いろんなとこに行ったじゃない」
木内「ライヴとかで地方に行ったら、その足でタワレコに寄ってね」
山口「いまほど有名になってない頃とか〈誰ですか?〉って感じだったと思うんだけど、結構書かせてもらったよね」
木内「やっぱタワレコは思い出深い出来事がいっぱいあるよね。ファースト・アルバムを出した時とかさ、渋谷のタワレコがエラいことになってるって聞いて、行ってみたらデッカイPOPがいっぱいあって。ああいうのを作ってくれたの初めて見たからね」
近藤「今回もどんなものを作ってくれてるのか楽しみだね」
山口「いまだとTwitterで〈タワレコがこんなこと書いてくれてますよ〉って、ファンの方が写真撮ってツイートしてくれたりね」
木内「〈今日、サンボマスター買ってきました! 聖地タワレコで!〉とかね」
山口「秋葉原のスタッフの方とはTwitterでやりとりさせていただいてるし、そうやってタワレコとは温かい交流が続いてるんだよね」
表紙を飾ったbounce2005年1/2月号
近藤「大学時代のサークル仲間が働いてたりするしね。あと、ライヴで地方に行くと、タワレコの店長さんが打ち上げに来たりっていうのが結構ある」
山口「そういうの嬉しいよね。〈NO MUSIC, NO LIFE.〉にも出させてもらったじゃない(2006年3月)。高田文夫先生と〈コマネチ!〉のポースをやってるあのポスターはずっと家の玄関に飾ってるからね」
木内「そもそも、誰かの〈NO MUSIC, NO LIFE.〉ポスターを見て、ウチのスタッフが平間(至)さんにジャケット撮ってもらえないかなあってなったのが付き合いのきっかけで、“美しき人間の日々”からずっと撮ってもらってますから」
山口「おまけに〈NO MUSIC, NO LIFE.〉までね。箭内(道彦)さんとの付き合いもそこからだね」
木内「そうそう、bounceの表紙も飾らせてもらったのも忘れられない思い出だね」