マース・カニングハム舞踏団の公演で使用された音楽集
フェルドマン、ケージ、小杉、チュードア、一柳...!
NYを拠点に活動するマース・カニングハム舞踏団の振付・舞踏家であり、2009年に90歳で死去したポスト・モダン・ダンスの巨匠、マース・カニングハム。舞台のあちこちを、強く、しなやかに動き回るその中心には……ん、中心? どこに? そう、そこにあるのはパフォーマーの身体と動きだけ。ただ2本の足とイマジネーションのみで時間と空間の中を動く。そこに理由はない。
そんなマース・カニングハム舞踏団の1952年から2009年までの公演で使用された音楽を集めたものが本作だ。作曲・演奏家の名前を見ると、出るわ出るわ、現代音楽コーナーのもっとも過激な棚に鎮座している人たちがごろごろと。年代順に並べられた10枚に及ぶCDと118ページのブックレットに手元がふるえ、目がくるんとまるくなる。もはや20世紀実験音楽のおおよそを網羅できる、前衛ドキュメンタリー箱となっている。
収録内容をざっと追うと、モートン・フェルドマンのピアノ曲をジョン・ケージとデヴィッド・チュードアが演奏したり、ゴードン・ムンマ、一柳慧のライブ・エレクトロニクスが炸裂したり、その場の音をその場でプロセッシングするという90年代に竹村延和が実践したような試みを69年に実演したポーリン・オリヴェロス作品があったりと事件の連続。また、79年にケージ、チュードア、小杉武久が参加した刀根康尚作品の貴重な演奏では、オリエンタルな弦の響きに中国語のテキストが乗るという超特殊音響を聴かせてくれる。そして前衛のしっぽは、孫の代とも合流。90年代に入るとジム・オルーク、クリスチャン・マークレイ、イクエ・モリらが参加し、スリリングな即興演奏を披露している。
ダンスがハプニングとなり、その偶然性が必然となるように、いまここにある膨大な音楽事故も必然であり、現在のシーンに十分過ぎる衝突を与える。サイコロの目のように不確定で無関係な音のすれ違い。まるで意味のないおしゃべり。そこに理由はない。それはカニングハムのダンスのようにただ動き、続いていくだけ。