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音楽と精神を分析(アナライズ)した至高のマーラー映画
マーラーを描いた映画というと、多くの読者はケン・ラッセル監督の『マーラー』──不謹慎の批判をものともせず、ヴィスコンティからナチスに至る自由連想(フリー・アソシエーション。フロイトで有名)をデコラティヴを塗りたくった、いわばユーゲントシュティールのプロモクリップ──を〈連想〉するかもしれない。そのやり方も悪くはなかったが、ケン・ラッセルから35年以上を経て製作された本作は、マーラーの音楽をプロモクリップのように断片的に流すのではなく、もう少しマーラーの楽譜そのものを深く分析しながら、彼の音楽と生涯をじっくり描いてみようではないかという、きわめて野心的な作品である。
ケン・ラッセル同様、物語の鍵を握るのは、交響曲第10番作曲中に発覚した妻アルマの不倫。マーラー愛好家ならご存じのように、第10番の第1楽章再現部には、当時マーラーが受けた衝撃を表現した未曾有の不協和音と、アルマの名前を呼ぶようなトランペットのイ音(A)の絶叫が登場する。不倫発覚の現場をほぼ史実に基づく形で〈再現〉しながら、第1楽章再現部の問題の箇所を実際に流す場面の説得力は、やはり何度見ても凄まじい。
ただ、これだけだったら出来の良い伝記映画で終わってしまうが、パーシー・アドロン監督とフェリックス・アドロン監督は第10番の〈絵解き〉からさらに一歩進み、第10番そのものを〈分析〉していく。ちょうど、本作の中でマーラーを診療するフロイト(これも実話に基づく)が、マーラーの心の中を〈精神分析〉していくような手つきで。本作の原題『Mahler auf der Couch』は「マーラー、分析中」という意味だが、そこには楽曲分析と精神分析の両方を意味するダブルミーニングが隠されている。
フロイトの〈分析〉の様子は、本編の中でとてもユーモラスに描かれているが、それがマーラー自身の音楽の性格――第1楽章の総譜を見ると、初期の角笛交響曲を彷彿とさせる木管のソノリティが目立つ――に由来していることは明らかだ。もう少し正確に言うと、アドロン監督は第10番の構造を自分で〈分析〉し、総譜の中から木管のパートやソロの部分を抜き出し、それをエサ=ペッカ・サロネン指揮スウェーデン放送響にパーツの形で演奏させ、分析場面のフィルムスコアとして用いているのである。このパーツ録音が、第10番の〈楽曲分析〉とフロイトの〈精神分析〉を結びつける重要な役割を果たしているのだ。
となると、やはりパーツ録音を独立した形で聴きたくなるのが人情というものだろう。世界初出となる本作のサントラ盤には、第10番の第1楽章のフルバージョンと、パーツ録音を26トラック収録。自己宣伝めいて恐縮だが、パーツの選択と配列は、アドロン監督の希望で筆者が担当した。朝日カルチャーセンターでの筆者のマーラー講座(4月23日横浜校、5月18日新宿校)では、実際にパーツ録音を用いた〈分析〉を披露する予定である。
『マーラー 君に捧げるアダージョ/MAHLER AUF DER COUCH』監督:パーシー・アドロン&フェリックス・アドロン
演奏:エサ=ペッカ・サロネン指揮&スウェーデン放送交響楽団
出演:ヨハネス・ジルバーシュナイダー/バーバラ・ロマーナー/カール・マルコヴィクス 他
配給:セテラ・インターナショナル(2010年 ドイツ・オーストリア 102分)
◎2011年 4/30(土)より渋谷・ユーロスペース他にて全国順次公開
http://www.cetera.co.jp/mahler