デトロイトを離れた老舗レーベルが、LAの地で獲得したサウンド&ヴィジョン
デトロイトで設立されたモータウンが72年に本社をLAに移転したことは、よく知られた話だろう。だが、社長のベリー・ゴーディJrが設立間もない頃からLA周辺のミュージシャンと交流を図り、63年に西海岸支部を設立して同地で録音を行っていたことはあまり知られていない。68年には後の西海岸本社となる社屋を購入するなど、西への移転準備は60年代から始められていたのだ。
移転の理由は、音楽や映画の中心地がヒッピー・ムーヴメントで盛り上がる西海岸に移ったこと、また、本社があったデトロイトでの暴動(67年)で街が荒廃したことなどが挙げられるが……とにかくモータウンは西へ向かった。そして、西のスタッフと組んだジャクソン5が社のシンボルとなるなか、そのブレーンを務めるハル・デイヴィスがマーク・ゴードンと組んで71年に立ち上げたのが、〈西海岸版モータウン〉という意味を込めたモーウェストである。
70年前後といえば、ソウルが他ジャンルと結び付き、非黒人ミュージシャンが参入してきた、いわゆるニュー・ソウルの勃興期。モータウンもこの動きに同調し、ロック専門のレア・アースなどのサブ・レーベルを設立したが、モーウェストは、本社のLA移転に先駆け、〈西〉での成功を夢見て始動させた、LAモータウンの試験的なレーベルだったのだろう。所属アーティストにはフランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズのようなポップス・アクトも含み、楽曲もロック〜フォーク調で、どこかアンダーグラウンド感漂うものが目立った。
そんなモーウェスト発の楽曲は、このたび編まれたコンピ『Our Lives Are Shaped By What We Love: Motown's MoWest Story 1971-1973』で聴くことができるが、コモドアーズ、シリータ、テルマ・ヒューストン、GC・キャメロンのように後に本家モータウンでブレイクするアーティストもいたものの、レーベルのジャンル越境的な趣向やプロモーション不足が災いしてかヒットはほとんど出ていない。シスターズ・ラヴ“Give Me Your Love”のダニー・クリヴィットによるリエディットがNYのクラブで人気を集めたり、オデッセイの“Battened Ships”が日本で〈フリー・ソウル〉アンセムになるのは、ずっと後になってからのことである。
結局、本社のLA移転が完了した73年にモーウェストは閉鎖。稼働期間はわずか2年余りだった。が、ここで裏方として関わったデヴィッドT・ウォーカーやウィリー・ハッチらが後のグルーヴィーでメロウなLAモータウン・サウンドの立役者になることを考えると、その雛型となったモーウェストの存在は大きな意味を持つ。デトロイトとLAの架け橋となったモーウェスト。このレーベルを見直すことでモータウンの真実も見えてくるというものだ。
▼関連盤を紹介。
左から、オデッセイの72年作『Odyssey』(MoWest)、GC・キャメロンの74年作『Love Songs & Other Tragedies』(Motown)。いずれも廃盤とは……!!
▼LAモータウンを支えた名裏方の作品。
左から、ウィリー・ハッチの74年作『The Mark Of The Beast』、グロリア・ジョーンズの73年作『Share My Love』(共にMotown)