ロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ 〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔 週コラム。今回は、〈SUMMER SONIC〉で来日直前! ジョン・ライドン率いるポスト・パンク・シーンの重鎮、パブリック・イメージ・リミテッドについて。戦略的なロックンロール・バンドだったセックス・ピストルズに対して、彼らは瞬間的な内面を表現していたのではないか――。
僕が14歳くらいの頃、世界でいちばんかっこ良いバンドはパブリック・イメージ・リミテッドことPILだった。ジョン・ライドンがセックス・ピストルズを突然脱退し、始めたポスト・パンク・バンド。ファッションからしてかっこ良かった。ジョン・ライドンは青ラメのギンギラのジャケットに、タックの入った白いバギー・ズボン。靴はロボットのシューズだけど、厚底じゃなく、スエードの薄いエア・ソール、本当にオシャレでした。
いま思うと、その格好はジョン・ライドンなりにノーザン・ソウルのテイストを採り入れ、パンクを通過したディスコ・ファッションだった。ベースのジャー・ウォブルはジョン・ライドンの友達で、ベースは弾けなかったけど喧嘩が強いということでバンドに入っていた。でもジャーって、名前も当時は画期的だったし、ベースがまだ慣れていないということで座って弾いていたのも不敵そのものだった。ネックには音階も書いてあったそうだけど、その映像は観たことがない。クラッシュのポール・シムノンならそういう映像でもありますが。素人なのかもしれないけど、レゲエな太い音を出していた。
でもPILのメンバーでいちばんかっこ良かったのは、ギターのキース・レヴィンだった。数少ない本当のオリジナル・パンクスのひとりで、クラッシュのオリジナル・メンバーだったが、変わったギターを弾くということでクラッシュを追い出されていた。キース・レイブンはクレイマーのアルミ・ネックのギターで、トレブリーな本当にセンスのいいギターを弾いていた。そして、2人目のドラマー、マーティン・アトキンスのドンドコ・ドラム。すべてが完璧だった。
いまPILを改めて聴いてみて、いちばん感動するのはすべてがフリー・フォームな感じでやられていることだ。それはジョン・ライドンがピストルズ時代からよく言っていた「音楽よりも、カオスに入り込んでいる」という言葉通りの音楽だったということだ。『First Issue』『Metal Box』『(The) Flowers of Romance』という流れは、傍から見たら、「壊れてんじゃん」という音だったかもしれないが、PILというバンドの音楽の進化をまざまざと見せつけられているような気がする。現在のPILについても、ジョン・ライドンは「このフリー・フォームな演奏」という言葉をよく口にしているので、それはいまも続いている。セックス・ピストルズが戦略的なロックンロール・バンドだったとすると、PILはジョンや他のミュージシャンたちの瞬間的な内面を表現したバンドだったと言えるのではないか。
ジョンの歌詞も自分の回りで起こったことを書き留めたような曲が多いような気がする。初期のPILで唯一やっていたセックス・ピストルズの曲“Bodies”で、〈私、昨日中絶したの〉とわざわざバーミンガムから言いにきた気味の悪い女の子のことを歌ったみたいに、名曲“Death Disco”では自分の母親の死を淡々と描写している。
いま若い人たちにPILがどういうふうに映っているのか僕はわからないが、僕にとってのPILは人生でいちばん影響を受けたアーティストであり、彼らの作品群は、彼らがしっかりとアーティストとして生きていこうとした記録に見える。
自分は46歳のオッサンで、アーティストとして生きるということがどういうことかよくわかっていないけど、いま、またPILをいちから聴き直して、アーティストとして自分を表現していくというのはどういうことなのだろうと疑似体験してみたいと思っている。
14歳のあの頃にこういうことがわかっていたら、自分はアーティストになれたと思うんだけどな。あの頃の僕は、(大阪の)新世界の古着屋で、ジョンが着ていたような漫才師のような金ピカの襟の細いジャケットを探すことで精一杯だったんだよな。
まっ、懐かしい思い出です。若い皆さんはいま一度、パンクの王様がアーティストとしてがんばった記憶を探ってみてください。
▼このたび紙ジャケット仕様でリリースされた、パブリック・イメージ・リミテッドのカタログ群