2011年に演奏されることの意味を問う
今年2011年は3月11日に東北地方太平洋沖地震がおこり、原発をめぐる問題も急浮上した。そうした年の秋、「核」を開発したアメリカ合衆国で、「核」をめぐって作曲されたジョン・アダムスのシンフォニーが、團伊玖磨《交響曲第6番〈広島〉》とともに、ほかでもない、読売日本交響楽団によって演奏される。
アダムスの《ドクター・アトミック・シンフォニー》は、オペラからシンフォニーへと改変されたコンサート・ピースだ。オペラ《ドクター・アトミック》は2005年に初演され、「原爆の父」と呼ばれるロバート・オッペンハイマーを描く。
《ニクソン・イン・チャイナ》や《クリングホファーの死》同様、演出家のピーター・セラーズとともに、実在の人物と事件をもとにして、このオペラはつくられた。舞台は1945年6月末、原爆の実験・実施を推進する「マンハッタン計画」の研究所で幕を開け、同年7月16日、トリニティ実験場で原爆の閃光がはしって閉じられる。
オペラはオッペンハイマーを中心に据えつつ、そばにいる科学者たち、軍人、家族がおり、一般の人たちと呼びうるコーラスをそなえる。科学によって新たな光明を見出したかにおもっているオッペンハイマーは、事態が進んでゆくにつれ、苦悩の影を濃くしてゆく。容易にタバコは手からはなれず、痩せてゆく。一方では進捗を求める軍人がおり、忠告する同僚がおり、妻は平安を希求し、先住民出身の家政婦は幻視する。
現実の文書に取材したというセリフはとても迫真性を持っているが、アダムスは敢えて、こうした言葉をすべてはぎ取り、オーケストラのみの「シンフォニー」にしつらえた。たしかにオペラでのテーマや素材は援用されているけれど、ここにあるのはオペラとは切り離され、オーケストラのみによって生まれた新たな音楽ドラマだ。3つの楽章からなるものの、第2楽章が大部分を占め、最初と最後はプロローグ/エピローグ的。オペラを知らなければおもしろくないかといえば、そんなことはない。そこは、オーケストラを「ならす」ことではピカイチのアダムスである。特別な難解さはなく、音楽は迫力を持ってつき進む。それこそ、核の開発が、否応なしに、進んでゆくように。
とはいえ、オペラを「予習」しておくなら、シンフォニーのありようもより明確となる。オペラに対しては賛否両論あろう。だが、それを踏まえたうえでこそのシンフォニーだ。
併せて演奏される團伊玖磨《交響曲第6番〈広島〉》の作曲は1985年。エッセイ集『パイプのけむり』を書きつづけた作曲家が完成した最後の交響曲で、特異なのは、能管と篠笛がつかわれていること、そして終楽章にエドマンド・ブランデンが1949年に書いた詩『HIROSHIMA, A SONGS』がソプラノでうたわれることだ。コンサートでは能管・篠笛が一噌幸弘 ソプラノが天羽明惠という名演奏家。指揮が下野竜也であることも特記したい。
芸術作品は問いとしてある。このコンサートでのように具体的なテーマを扱いつつも、単純に何かを告発するだけではない問いが、包含されている。自らその問いに面とむかうことで、音楽が、演奏が、演奏家が、そして聴き手自身が、音楽作品の真に体験をする。そして、それはひるがえって現実への眼差しとなるはずだ。
読売日本交響楽団 第508回定期演奏会
ジョン・アダムス『ドクター・アトミック・シンフォニー』(日本初演)
團伊玖磨『交響曲 第6番〈広島〉』
指揮:下野竜也(読売日響正指揮者)
能管・篠笛:一噌幸弘
ソプラノ:天羽明惠
10/24(月)19:00開演
会場:サントリーホール(東京)
http://yomikyo.or.jp/