続々とリイシューされる幻の名盤や秘宝CDの数々──それらが織り成す迷宮世界をご案内しよう!
私は内山田百聞。売れない三文作家であるが、道楽のリイシューCD収集にばかり興じているゆえ、周りからは〈再発先生〉などと呼ばれている。〈居酒屋れいら〉を急に追い出されて実に腹立たしい。私の梅割りはどうなったのだ。仕方なく駅前の飲み屋街を徘徊していると、路地裏に古びたバーを見つけた。〈サド〉と書かれた重い扉を開けると、暗がりのなかに先客は一人だけである。瞬間、私はただならぬ妖気を感じた。
「おや、内山田君じゃないか。久しぶりだね」——漆黒の長髪に黒のタートルネック、黒塗りのサングラスに黒光りするパイプを咥えてこちらを向いたのは、学生時代の友人・澁谷八彦だった。 あまり嬉しくない偶然の再会に乾杯した後は、案の定、彼の独壇場であった。
「ニルヴァーナの 『Nevermind: Deluxe Edition』(DGC/Geffen/ユニバーサル)だが、リハーサルやセッション音源が大量追加されて2枚組というのは嬉しいじゃないか。鬼火のように醒めたカート・コバーンの情念は、ラフな音源にこそ生々しく封印できるものだよ。衆知の通りバンド名は仏教用語の〈涅槃〉に由来していて……」。
相変わらずの饒舌な語りはどこか詩的とも言えるが、私はこの男が苦手である。
「神秘的な東洋思想に影響を受けた90年代のバンドといえば、何よりクーラ・シェイカーだ。96年のデビュー作が2枚組の 『K: Deluxe Edition』(Columbia/ソニー)としてリイシューされたが、サイケなインド趣味と骨太なグルーヴの融合はいま聴いても十分刺激に満ちているし、ライヴ音源を中心としたボートラも完全未発表モノだらけで聴き応えがある。ちなみに彼らの名は9世紀のインド皇帝、クラシェクハラから取られたんだぜ」——そう言って澁谷はブランデーグラスを回し、私は梅酒ロックを舐めた。
「ところで、ドゥルッティ・コラムの80年作 『The Return Of The Durutti Column』(Factory/ヴィヴィド)が日本盤で登場したね。初回盤には伝説の紙ヤスリ・ジャケが再現されているんだが、紙ヤスリっていうのは棚に収納した時に隣のレコードを傷付けるためで、つまり内なるパンク魂を具現化したわけさ。そのくせサウンドは、まるで印象派の絵画めいた淡く美しいギター音響だからおもしろい。バンド名はスペイン内戦時の市民部隊の名から拝借していて……」。
溢れ出る彼のペダントリーを、私は必死で右から左に聞き流す。
「ん、浮かぬ表情だな。ああ、そういえば君はアングラなハード・ロックが好みだったね。では、インクレディブル・ホッグの73年作 『Volume 1』(Dart/Rise Above)はどうだね。トリオ編成でブルース色が濃いが、ソリッドな演奏と独特の英国臭さが好事家にはたまらないだろう。確か彼らのバンド名は……」。
そうか、先ほど〈れいら〉にいたプログレ青年の行く末が澁谷なのだ。私は沈鬱な気分で梅酒ロックを飲み干した。