40年の時を経て、再び両作品に出会うことの意味
『いちご白書』、『ひまわり』は2作品とも1970年につくられ公開された映画である。おそらく今回のリバイバルはその事がミソである。1本はアメリカ、もう1本はイタリアで。世界的に1960年代〜70年代初頭にかけて、世界的な動乱(ベトナム戦争、学生運動、革命など)で世の中が蠢くなか作られた両作は一見、対照的ともいえる作品でもある。
『いちご白書』は前年公開の映画『イージー・ライダー』に代表されるようにカウンターカルチャーの洗礼を浴び、新進気鋭の監督と若手俳優達でドキュメントタッチ、音楽はパフィー・セント=メリーやニール・ヤングetcといった同時代性に満ちている。一方『ひまわり』はソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニという大スターで古典的ともいえる作風、そしてヘンリー・マンシーニの叙情的な音楽といった布陣。しかし、やはりこの時代だからか両作とも時代背景にあるものによって個人の世界が翻弄され、そこに視点があてられているところは共通しているし、『ひまわり』の監督のヴィットリオ・デ・シーカは『靴みがき』『自転車泥棒』等のネオリアリズモの出身のせいか、今作にもやはり人間に迫るってことなのでしょうか、ズームアップが多用されていることに驚きもする。
偶然だが女が男と出会い(またはその逆)、そして離れ、再び出会う、そして、出会った時には互いに状況が変わり、自分にもその変化をつきつけてくる。その間に何かがあり、劇的に変わる時もあれば、目に見えない変化でもある。今回のリバイバル上映、今更いうまでもない名作と謳われている『いちご白書』と『ひまわり』がこの度ニュープリント、デジタルリマスターで上映される(しかも新訳も)。最後に回転しながら撮影されるキャメラに合わせ『いちご白書』のジョニ・ミッチェルが書いたテーマ曲の歌詞が流れる 〈時の回転木馬に人は乗ったまま後戻りはできない〉40年の時を経て、再び両作品に出会う事は何を意味するのか、はたまた変わっていないのか、そしてどう感じるのか。この激動の2011年に出会うからこそ、また意味深いのかもしれない。
映画『ひまわり』
監督:ヴィットリオ・デ・シーカ 出演:ソフィア・ローレン/マルチェロ・マストロヤンニ
配給:アンプラグド(1970年 イタリア)
◎12/17(土)より、新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町他にて全国順次公開
映画『いちご白書』
監督:スチュアート・ハグマン 出演:ブルース・デイヴィソン/キム・ダービー/バッド・コート/マーレイ・マクロード 配給:アンプラグド(1970年 アメリカ)
◎11/19(土)より、新宿武蔵野館他にて全国順次公開