ジョン・ケージが50年代に提唱した現代音楽の新潮流、〈偶然性の音楽〉を意味する言葉をそのままバンド名に冠したCHANCE OPERATION。その名前に最初はピンとこなくても、元MIRRORSのヒゴヒロシが80年から約13年間に渡って活動していたバンドと言えば、ああ!と膝を打つ人も多いのではないでしょうか。そう、CHANCE OPERATIONは東京における鮮烈なパンク〜ニューウェイヴ革命だった〈東京ロッカーズ〉の一角を担っていたバンドの発展形とも言える重要バンドでした。それではまず、MIRRORSの歴史から辿っていきましょう。このバンドはフリクションの前身バンド=3/3でベーシストだったヒゴヒロシがヴォーカル/ドラムスを担当し、77年に結成されました。そしてフリクション、リザード、S-KENらと共に、時代に風穴を開けるべくシリーズ・ギグを開始。これが〈東京ロッカーズ〉の礎となったのです。とりわけ、みずからゴジラというインディー・レーベルを設立し、他アーティストのEPやオムニバスをリリースしていたヒゴは、〈いまの東京で何が起きているのか〉をリアルに伝えるキーパーソンの一人でした。しかし、MIRRORSはパンクの終焉と共に80年に解散してしまいます。
そして、そこからわずか5か月後、ヒゴがベース/ヴォーカルにふたたび戻って新バンドを結成した〈その時〉、彼自身もまたニューウェイヴという新たな時代の扉を開けたのです。それがCHANCE OPERATIONの誕生でした。81年には地引雄一主宰のテレグラフから最初の12インチEP『CHANCE OPERA-TION』を発表。よりシンプルでエッジーな演奏に転じ、さらにややダンサブルな要素を加えた彼らのサウンドは、前バンドよりも都会的で洒脱なもの。とりわけヒゴによるベースがバンドの中核を担うことで、グルーヴ感のあるアンサンブルを作り上げていたのです。いまなおフリクションのレックと共にヒゴを優れた日本人ベーシストとして評価する声も少なくありません。
しかし、バンドは90年代前半頃に活動停止。その後のヒゴは、時に渋さ知らズのメンバーとして、トランス・バンドのKINOCOSMOの一員として、またDJ HI-GOとして——決して派手ではないものの、神出鬼没で精力的な動きを見せています。そして、07年の3/3に続き、このたびCHANCE OPERATIONの音源がリイシュー。それを聴けば、彼がめざしていたバンド・サウンドがいかに先鋭的でエナジェティックだったかに驚かされるはず。またその流れが今日のZA-ZEN BOYSやオワリカラらに受け継がれていることに気付くのではないでしょうか。
CHANCE OPERATIONのその時々
MIRRORS 『Real State』 CAPTAIN TRIP
ヒゴヒロシが率いたMIRRORS活動当時のリリース作品はシングルのみだったため、解散から20数年後に日の目を見たライヴ音源から成る本作が単独アルバムとしては唯一のもの。パンキッシュでストレートな演奏は東京ロッカーズを牽引していたバンドらしく、ヒリヒリしていてホットだ。
CHANCE OPERATION 『RESOLVE』 Pヴァイン
80年のレアなソノシート『カスパー・ハウザー・ナウ』、ミニ・アルバム『CHANCE OPERATI-ON』、EP『SPARE BEAUTY』を合わせたDisc-1、同時期の未発表ライヴ/スタジオ録音音源を収めたDisc-2との2枚組。フリクションのチコ・ヒゲやノンバンドのメンバーら、当時の〈共闘〉仲間の力も借りた演奏には、初期のまだ混沌としたスリルが目一杯に詰め込まれている。
CHANCE OPERATION 『PLACE KICK+1984』 Pヴァイン
85年にテレグラフからリリースされた初作『PLACE KICK』+カセットテープでの84年作『OPEN GROUND』+未発表ライヴ音源を収録。バンドの成熟期を凝縮した内容で、特にスターリンのイヌイジュンがドラマーとして参加し、エレクトリックなジャズ・ファンク風の路線にフォーカスした『PLACE KICK』の収録曲は、いま聴いても斬新で刺激的だ。
『CASE OF TELEGRAPH/PRODUCT DX』 SUPER FUJI
83年8月に行なわれた同名イヴェントを収録した、この時代のシーンを捉えた名ライヴ・コンピ。すきすきスウィッチ、AUTO-MOD、EP-4(unit3)など錚々たるメンツが並ぶなか、CHANCE OPERATIONはシャープでスピード感のある演奏で貫禄たっぷり。この編集盤は未発表音源付き。