力強く根を張る美意識
mama!milkの『Nude』を聴くと、こんなふうに思う。ああ、このアコーディオンの音は、まるで猫科の動物のようだ。射るような眼差しとしなやか 足取りで近づいてきては、急にくるりとターンして離れていく。そのたびに、ぼくの心は甘い不安にかき乱されて、いつまでもおさまらない。
そして観たこともない映画の一場面が、まぼろしのように目の前に浮かびあがる。古い石畳の街をうつむきかげんに歩く、この男が主人公だ。きっと彼は不安定で思いどおりにならない人生を生きてきた。取り返しのつかない時間と、まだ決着のつかないこの生の未来を考えて、焦燥、あきらめ、悔い、燃えつきない想いの数々に心をざわつかせている。そんな映画の一場面が……いや、これは映画でなく、ぼく自身の姿だろうか。
今、ぼくらはどこへ向かって歩いているのだろう? この不安定な日々はいつまで続く? 繰り返し問い、すぐに黙りこむ。わからないのだ、なにも。……けれどもまた、もしかしたらこのわからなさ、不安定さは、「ほんとう」ではないかとも思う。たとえばあの3月11日、ぼくらは、そんな「ほんとう」をいきなり鼻先に突きつけられて、おびえ、立ちすくんでいた。そのときぼくらは、少なくともその幾分かは、ぼくらの生の「ほんとう」なのだと受けとめてもいた……。
もしもこの不安定さが「ほんとう」であるならば、まっすぐそれを見つめたいと思う。嘘くさい落ち着きよりも、たとえ不安であるにせよ、「ほんとう」を感じながら生きていたい。そうするだけの強さを、ぼくらはきっと持っている……。
mama!milkの曲を聴くと、そんな想いがぼくの意識のなかに生まれる。
そして、さらに考える。美しいというのは、きれいということではなく、「ほんとう」ということ。「ほんとう」がむき出しになって、今、ここにある。ぼくらが求めているのは、そういう美しさだ。そして、それこそがNudeの美しさなのだ、と。